塔
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塔(とう)は、接地面積に比較して著しく高い構造物のことである。
注釈
出典
- ^ a b c d 中村元編 『仏教語源散策』(第1版) 東京書籍、1977年、218-221頁(松本照敬著) :tupa の関連。塚の関連。初期仏教における塔についての記述。中国での仏塔の興り。
- ^ tower - Online Etymology Dictionary
- ^ a b c d 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、188頁。
- ^ a b c d e f g h 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、50頁。
- ^ a b c d e f 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、51頁。
- ^ a b c 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、52頁。
- ^ Claridge, Amanda 1998 Rome: An Oxford Archaeological Guide
- ^ a b c d e f g h i j k 堀越 宏一 「戦争の技術と社会」3.城と天守塔, 〜 15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史 ISBN 978-4-623-06459-5
- ^ a b c d 長さの比較資料:1 E2 m
- ^ cf. 律宗#日本の律宗
- ^ cf. 京都相国寺 - 日本の塔婆
- ^ a b c d e f 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、192頁。
- ^ 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、192-193頁。
- ^ a b 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、193頁。
- ^ 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、194頁。
- ^ “Study for Woolworth Building, New York”. World Digital Library (1910年12月10日). 2013年7月25日閲覧。
- ^ 坪井善昭ほか『“広さ”“長さ”“高さ”の構造デザイン』建築技術、2007年、195頁。
多重塔
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多重塔は、三重塔や五重塔に代表されるもので、平面上から見て四方形(円形や多角形もある)の空間を何層にも重ねたものである。日本の多重塔の源流は、中国の楼閣であると考えられている。 塔の中心には「心柱」が置かれ、その周囲に柱を配置している。頂部には「相輪」と呼ばれる銅または鉄でできた小塔が取り付けられた。 塔を支える心柱は、法隆寺の五重塔では地中2mほどに礎石を置き、その上に建っている(掘立て式)。平安時代に入ると、礎石を地表に置いて、その上に心柱を乗せるようになった(地上式)。 さらに鎌倉時代以降は、心柱を最上層から第二層で止めるようにしたものが目立つ。京都の海住山寺の五重塔がこの形式の現存する最古のものである。 江戸時代の寛永寺や日光東照宮の五重塔は、心柱を上から吊り下げる構造をとっている。これは、木材の乾燥に起因した心柱の収縮と他の柱の収縮の差による歪みの発生を抑えるためと考えられている。 五重塔より多層で特に七重以上になると、木造は数が比較的少ない。妙楽寺(現・談山神社)の十三重塔が唯一現存する木造塔である。 752年(天平勝宝4年)、奈良の東大寺に当時最大となる高さ320尺(約100m)の七重塔が東西二基が建設された。何度か消失し、その度に再建されたが、室町時代以降はついに再建されなかった。 また、1392年(明徳3年)には足利義満によって京の相国寺に七重塔が発願され、1399年(応永6年)に完成した。高さ360尺(109.1 m)に及ぶこの塔は史上最も高かった日本様式の仏塔であるが、わずか4年後に落雷によって炎上。再建を目指した義満が急死した後、息子足利義持が跡を継いで再建。応仁の乱も乗り越えて1470年(文明2年)10月3日の火災によって焼失するまでの数十年間、京の都を見下ろし続けた。。 なお、法勝寺の八角九重塔は高さ840尺(約250m)と伝えられるものの、その信憑性は低いと言わざるを得ない。
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