鬼十則
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4代目社長・吉田秀雄により1951年に作られた電通社員の行動規範。 1991年の男性社員の過労死(電通事件)の発生後、新入社員研修の教本などからは除外されたが、その後も社員手帳には記載が続けられ、特に第5則が電通の労働体質の背景になっているとされた。2015年12月に発生した新人女性社員の過労自殺を受け、2016年度限りで除去。 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
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鬼十則
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1951年制定。 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。 仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。 社員手帳「Dennote」(非売品)に長らく記載され続けて来た。 昭和28年、大毎紙上で鬼十則が紹介されたとき、小林一三の関心と共感を呼び染筆を求められた。吉田は恐縮し、「ご希望にそうようにしなければなるまい。」と筆をとった。現在、電通銀座ビル4階の吉田秀雄記念事業財団に再現された旧社長室(4階は本社だった当時から役員フロア)にレプリカが額装されて展示されている。 吉田没後、昭和38年1月29日付朝日新聞の天声人語に、次のように書かれた。 この商売には製造する物資も売る品物もない。設備は事務所だけ。唯一の「資本」は、人間であり頭脳とアイディアで「企業のイメージ」を売るだけだ。吉田氏は「電通鬼十則」をつくって「広告マン」を育てた。「仕事はつくるべきで、与えられるべきではない。むずかしい仕事と取り組め、取り組んだら放すな。マサツを恐れるな。マサツは進歩の母」など味わうべきものがある。社長以下幹部ほど出社が早く、退社が遅いのも一風変わっている。自由化時代に輸出の先駆を買って出て、東南アジアに「広告技術の輸出」を進め、現地の広告活動にもフロンティアをのばしていた。個人の面でも火事で丸焼けの社員には四季にわたって家族全員の衣類を贈ったそうだ。 第5則が電通事件を始めとする過労死続発の原因なのではないかと世論の批判を呼んでいる。2016年10月には労働局の調査が入る事態に発展した。 詳細は「電通#新人女性社員の自殺 (2015年)」を参照 これを受けて電通は2017年版からは手帳への記載を取りやめることを決めた。
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