露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
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季 節 | 秋 |
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評 言 | 第二句集『夜の桃』(昭和二十三年刊)所収。 俳人の中でも、三鬼ほど毀誉褒貶の相半ばする人物はいないのではないか。戦前、戦中戦後の混沌の時代にあって、型破りに俳壇と深く関わり、六十二歳で死去する。沢木欣一は「三鬼とはいったい何であったのか。いまだに分らない部分が私には多い。」と述べている。 俳句とは、虚子や子規や秋櫻子や林火など、教科書に出てくる作品が一番と思っていた初学の頃、<水枕ガバリと寒い海がある><緑蔭に三人の老婆わらへりき><おそるべき君等の乳房夏来(きた)る><女立たせてゆまるや赤き早星>などの句を目にした時のショックは、今も鮮明に覚えている。 まず三鬼という俳人は一体どういう人物なのか知りたいと思い、神田の本屋などを歩いたものである。 掲出の「露人ワシコフ」の句は、作り話のようでいて、不思議に眼前に声や色や姿がイメージされて、いつ迄も心に残っていた。後に、三鬼の「隣人」と題したエッセイで、この句の背景を知った。戦争中、神戸山手の古びた洋館に住んでいた折の隣人が、ワシコフという白系ロシア人であった。彼には若い日本人の妻がいたが、結核にかかっていて、亡くなったという。掲句の成った経緯についての三鬼の文を引用したい。 「ある朝、隣人は長いサオを持ち出し異様な叫びと共に手当り次第にザクロをたたき落していた。隣人のこの仕業は、死んだ女の思い出のザクロがいまいましいからか、肺病の女から解放された歓喜か、単に食いたいからか、私には判断がつきかねたのである。」 このワシコフ家のことは、西東きく枝夫人の「遠い日々」と題した文章の中にも出てくるので、作り話などではなかったのである。 |
評 者 | |
備 考 |
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