電蒸運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 23:59 UTC 版)
電蒸運転(でんじょううんてん)とは、先頭に電気機関車、それの次位に蒸気機関車を連結した重連、または先頭に電気機関車、最後尾に蒸気機関車を連結したプッシュプルで列車を運転すること。「電-蒸運転」と表記されることもある。 大正時代、電気機関車の導入開始当初は故障が多く信頼性が低かったことから、対策としてこの運転方法が採用されていたことがあった。この場合、列車の前方に電気機関車を連結し、後方に補機として蒸気機関車を連結して運転を行った。 戦後の混乱した一時期に飯田線で電蒸運転の事例がある。 1957年9月5日に、仙山線で営業運転による試験を開始したED45形を嚆矢とする交流電気機関車は客車の蒸気暖房用供給装置がなく、冬季は専用の暖房車を必要としたが、この暖房車確保が間に合わなかった。そのため、仙台および小牛田のC58形が代替暖房車として(動力車としては使用せず)しばしば連結された。ところが、初期の交流電気機関車は水銀整流器を由来とする故障が絶えなかったため、その際にC58形が動力車となって救援して運行を続けることがしばしば見られた。 昭和30年代から40年代中盤にかけて主要路線において電化が進展したが、工事完了後から開業直前にかけて試運転・乗務員訓練・点検などを行うために電蒸運転が複数回行われた。
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