関わった主な詩誌とは? わかりやすく解説

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関わった主な詩誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 17:43 UTC 版)

饒正太郎」の記事における「関わった主な詩誌」の解説

椎の木椎の木社 : 第1期 (1926年10月-1927年9月)、第3期 (1932年1月-1936年3月) が百田宗治編集で、多くの有力新人作品発表しモダニズム抒情という雰囲気であった寄稿者には室生犀星春山行夫萩原朔太郎西脇順三郎村野四郎草野心平佐藤朔らがいる。饒は1932年から1934年ころまで詩を発表した。 『カイエ = cahierカイエ1933年7月-1934年11月 編集発行人 饒正太郎: 中野区自宅発行所として創刊し第1号に饒は、「花」題する詩と、ストラヴィンスキーの『兵士の物語』について述べた音楽地理」と題する一文載せている。 『20世紀 : L'esprit de la poésie contemporaine』二十世紀刊行1935年1月-1936年12月: 饒正太郎酒井正平西崎晋、小林善雄、川村欽吾らが創刊イギリス詩人オーデン詩劇死の舞踏』を饒と酒井共訳連載。この雑誌A4判大きなサイズで、第5号では饒が多忙のため編集桑原圭介に代わったことが記されている。 『新領土アオイ書房 : 1937年5月-1942年1月刊行上田保他編、同人春山行夫村野四郎近藤東鮎川信夫江間章子桑原圭介らが参加しモダニズム傾向で、同時代海外詩論積極的に紹介した創刊号後記で饒は「「新領土という名の意味は、土地を奪うという意味ではなく新しく開拓するという意味で、その点ナショナリズムではなく極めて国際主義標榜している」と述べている。 『文藝汎論』(文芸雑誌) 文芸汎論1931年9月-1944年2月: 編集者岩佐東一郎城左門で、1935年以降に饒が寄稿している。

※この「関わった主な詩誌」の解説は、「饒正太郎」の解説の一部です。
「関わった主な詩誌」を含む「饒正太郎」の記事については、「饒正太郎」の概要を参照ください。

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