釣り場としての湯川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:07 UTC 版)
「湯川 (日光市)」の記事における「釣り場としての湯川」の解説
緩やかな流れを持つ湯川の独特の景観は欧州の鱒釣り場の風景を想起させるとも言われ、釣り人の間では「チョークストリーム風」などと形容されることもある。奥日光地域では明治の頃より、この地を避暑地として利用していた欧米人によって娯楽としての釣りが行われており、湯川やその周辺の奥日光一帯はフライ・フィッシング、ひいては娯楽を目的とした西洋流のスポーツフィッシングが日本に定着するきっかけになった釣り場であるとも言われている。 奥日光地域の河川は、華厳滝や竜頭の滝によって隔てられており魚が往来することができず、かつての湯川には釣りの標的となるような魚がまったく生息していなかったが、1902年(明治35年)5月2日、交易商人として知られるトーマス・グラバーの企画により、イギリス領事館員ハロルド・パーレットの立ち合いの元、コロラド州から取り寄せた約25,000粒の卵から孵化したカワマスの稚魚が湯川流域に放流されている。この時の稚魚は同年9月28日に足尾台風が流域一帯に及ぼした深刻な災害によって壊滅してしまったものの、1904年(明治37年)にも放流が試みられて繁殖が確認され、後世になっても放流が続けられており、日本では珍しいカワマスの釣り場として釣り人に親しまれている。 湯川および湯ノ湖は水産総合研究センター増養殖研究所が研究用の水面として所有しており、管理を委託された全国内水面漁業協同組合連合会が、水産業の振興を目的とした研究協力の一環として釣り事業を運営している。このような形態で研究機関の所有となっている河川は日本では他に例がないという。
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