ぐんじ‐しげただ【郡司成忠】
郡司成忠 ぐんじ しげただ
東京生まれ。海軍軍人。父は幕臣、弟は小説家幸田露伴。明治5年(1872)海軍兵学寮に入校。26年(1893)海軍大尉として予備役に入り報効義会を組織し、千島樺太交換条約により日本領とされた千島列島を探検。最北端の占守島(シュムシュ島)に入植し、漁場の開拓にあたった。翌年日清戦争従軍のため帰還。日露戦争ではカムチャツカに侵入しロシア軍に捕われ、戦後帰国。第一次大戦にはシベリアで特殊任務に従事した。
キーワード | 海軍軍人 |
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号・別称等 | 成忠(なりただ) |
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郡司成忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 00:05 UTC 版)
郡司 成忠(ぐんじ しげただ/なりただ[1]、万延元年11月17日(1860年12月28日) - 大正13年(1924年)8月15日)は、日本の海軍軍人、探検家・開拓者。
注釈
出典
- ^ a b c 秦 2005, p. 205, 第1部 主要陸海軍人の履歴:海軍:郡司成忠
- ^ 綱淵謙錠『濤』下巻、新潮社、1986年、54-55頁
- ^ 「25年12月1日 海軍大尉郡司成忠旅行願の件」 アジア歴史資料センター Ref.C10125146500
- ^ 添田唖蝉坊『唖蝉坊流生記』、刀水書房、1982年、50-58頁
- ^ 長沢和俊『日本人の冒険と探検』、白水社、1973年、186頁
- ^ 郡司大尉送別会新聞集成明治編年史. 第八卷、林泉社、1936-1940
- ^ 『濤』下巻、317-338頁
- ^ 綱淵謙錠『極 白瀬中尉南極探検記』、新潮社、1990年、188頁
- ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、189頁
- ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、221頁
- ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、226-227頁
- ^ 『鈴木貫太郎自伝』 ISBN 978-4-8205-4265-0、58-59頁
- ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、282頁
- ^ 夏堀正元『北の墓標』、埼玉福祉会、1995年、300-301頁
- ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、285-292頁
- ^ 『北の墓標』、319頁
- ^ 豊田穣『北洋の開拓者:郡司成忠大尉の挑戦』、講談社、1994年、291頁
- ^ 『北の墓標』、332-334頁
- ^ 『北の墓標』、385-389頁
- ^ 寺沢毅 『北千島の自然誌』 丸善〈丸善ブックス〉、1995年 76 頁
- ^ 『官報』第705号「叙任」1885年11月5日。
- ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
- 1 郡司成忠とは
- 2 郡司成忠の概要
- 3 経歴
- 4 栄典・授章・授賞
郡司成忠
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