邯鄲市とは?

Weblio|辞書<国語辞典・国語辞書・百科事典>

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|地図
Weblio 辞書辞書・百科事典邯鄲市の解説 

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

邯鄲市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/09/23 04:25 UTC 版)

中華人民共和国 河北省 邯鄲市
河北省中の邯鄲市の位置
河北省中の邯鄲市の位置
中心座標 °′″N, °′″E
簡体字 {{{simplified}}}
国家 中華人民共和国
河北
行政級別 地級市
面積
- 総面積 12,062 km²
- 市区 457 km²
人口
- 総人口(2004) 863 万人
経済
電話番号 0310
郵便番号 056002
行政区画代碼 130400
官方ウェブサイト http://www.hd.gov.cn/

邯鄲市(かんたんし、簡体字: 邯郸拼音: Hándān:ハンダン)は中華人民共和国河北省南部に位置する地級市京広線の沿線にあり、石炭業のほかセメント製造、鉄鋼業、紡績業、電子産業などが盛んであり、その交通の便から工業全体が伸びている。

戦国時代の首府であり、日本ではとりわけ『邯鄲の夢』『邯鄲の歩み』の故事によって有名である。

目次

沿革

もともとの名は邯であり、同名の山に由来した。衛に属する街だったが、に占領され、戦国時代の首府が晋陽(太原市)から移され大いに栄え、後に邯鄲と改められた。

また、邯鄲は始皇帝誕生の地である。秦は趙に対し人質として王・昭襄王の孫、子楚(後の荘襄王)を差し出したが、大商人呂不韋は子楚の非凡さを見抜き身元を救い出し、後に後見人として勢力を振るった。彼は自分の愛人を子楚に与え、生まれた子が政、後の始皇帝である。(政の父が誰であるかについては始皇帝の項も参照)始皇帝は趙を滅ぼした後一度だけ邯鄲に入城し、生母の敵たちを皆生き埋めにしたと言う。

その後、陳勝・呉広の乱が起こり趙が復興するものの、秦の将軍章邯により趙に邯鄲に籠城されては困るとのことで邯鄲占領後に邯鄲を徹底的に破壊した。

その後、前漢時代には邯鄲が復興し当時の五大都市のひとつであったが、相次ぐ戦乱により衰退し、代以後は単なる鎮となった。

市となったのは1953年と遅いが、1980年代以降に急速に拡大し、石炭生産により鉄鋼業などに燃料を供給して一大工業都市となった。また日用磁器生産では唐山市を抜き、中国北部最大の生産地となっている。しかし一方で、市の西の太行山脈に発し、市街地を貫いて北へ流れる滏陽河(ふようが、海河水系の支流)では、上流での過剰な取水と生活排水や工場廃水の投棄により断流や水質汚濁が起こり、重大な公害問題になっている。

行政区画

4区、1市、14県を管轄する。

    • 邯山区・叢台区・復興区・峰峰鉱区
  • 市(県級市)
    • 武安市
    • 磁県・成安県・大名県・肥郷県・館陶県・広平県・雞澤県・邯鄲県・臨漳県・邱県・曲周県・魏県・渉県・永年県

教育

  • 河北工程学院

古跡・観光地

  • 趙王城跡
市の南西にあり、宮殿建築群の基壇が残っている。
  • 武霊叢台
趙の時代に軍や歌舞の観閲のために建造されたが、眺めがよく後に楼閣が建てられ、多くの漢詩にうたわれた。
  • 黄梁夢呂仙祠
街外れにある楼閣で、『邯鄲の夢』(黄梁夢)に出てくる道士・呂翁を祀る。
  • 響堂山石窟
  • 趙苑
  • 媧(女咼)皇宮

故事

  • 邯鄲の歩み
  • 邯鄲の夢

姉妹都市

外部リンク





固有名詞の分類



このページへのリンク
「邯鄲市」に関連した用語
邯鄲市のお隣キーワード
Weblioモバイル
QRコード
URL:【http://m.weblio.jp/
ケータイでバーコードを読み取るか、URLを直接入力してアクセスして下さい。
» モバイルで「邯鄲市」を見る

_ _   


このページの著作権について
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの邯鄲市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したのにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2010 Weblio RSS