近世の神仏分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:07 UTC 版)
江戸時代に入ると、儒学の発展・藩学の興隆により神仏の棲み分けが理解されるようになっていた。出雲大社でも17世紀に神仏の判然が行われている。 また、宮中では東山天皇の時代に、正規の大嘗祭の復興が起こった。その際に、歴代天皇の位牌や仏像・仏画類を宮中にてどうすべきかという実情に、長年宮中に定着してしまった神仏の習合の実態から論争になった。しかし、その後大嘗祭と奉幣使再興などが行われたが、改めて国民の仏教負担・障害の課題の克服運動が、長く現代まで続くことにもなっている。そして、孝明天皇即位の際には公家たちの間で、即位灌頂に反対する意見も出された。
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