農作物の渡来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
7000年前には中国の長江流域で水田稲作が始まっており、日本に渡来した経路については、朝鮮半島のルート、大陸からの直接ルート、南西諸島のルートに大きく説が分かれる。稲作の渡来経路の研究として、稲遺伝子の研究、各種遺跡からの出土品からの農具や儀礼の研究、水耕田跡の調査などが行われている。日本および朝鮮半島、遼東半島などの極東アジアに存在する稲は、温帯性ジャポニカ種と熱帯性ジャポニカ種の大きく2種類にわけられる。青森県の高樋III遺跡や滋賀県の下之郷遺跡をはじめとして、弥生時代の遺跡からは温帯性と熱帯性の双方が発見された。稲の在来品種のDNAを核SSR(シンプル・シーケンス・リピート)法で分析した結果では、大陸からの渡来は朝鮮半島と日本列島の双方に認められた。日本で稲作が始まった時期は紀元前10世紀後半、場所は北九州の玄界灘沿岸からで、唐津の菜畑遺跡や福岡の板付遺跡が最古のものとされている。大規模な渡来は大きく3回にわたり、紀元前7世紀-8世紀、紀元前4世紀-5世紀、紀元前2世紀-3世紀とされる。朝鮮半島から壱岐を経由した種や、大陸から北部九州に直接渡来した種があったことが判明している。
※この「農作物の渡来」の解説は、「日朝関係史」の解説の一部です。
「農作物の渡来」を含む「日朝関係史」の記事については、「日朝関係史」の概要を参照ください。
- 農作物の渡来のページへのリンク