趙範
建安十三年(二〇八)十二月、劉備は周瑜とともに赤壁で曹操の水軍を撃破したのち、劉表の子劉琦を荊州刺史に任じるよう上表し、桂陽太守趙範を武陵太守金旋・長沙太守韓玄・零陵太守劉度とともに降服させた《先主伝》。 新たに劉備の将趙雲が桂陽太守となったが、趙範は嫂(あによめ)樊氏を趙雲に嫁がせようとした。樊氏は国を傾けるほどの色香があった。しかし趙雲は「お互い同姓なのだから、卿(あなた)の兄は我(わたし)の兄でもある」と言って固辞した。のちにある人が縁組みを受け入れるように勧めると、趙雲は「趙範は追い詰められて降服したのであって本心は測り知れない。天下に女は少なくないのだから」と飽くまで取らなかった。結局、趙範はあとになって逃走した《趙雲伝》。 『演義』では趙雲との関係を強調するため趙範を常山郡真定の人だといっている。趙範は桂陽太守に赴任するにあたって一族を故郷に残しているはずで、もし北方の人であるなら、趙雲と結縁したことが知られれば一族が危険にさらされかねない。趙範は南方の人と見るべきだろう。『後漢書南蛮伝』は言う。「交阯の西に噉人の国がある。初めて子供が生まれるとすぐさま潰して食べてしまい、それを弟のためだと言っている。味のよいものは君主に献上するが、君主は喜んで父親に褒美をとらせる。妻を娶ったとき美人であれば兄に譲る。いまの烏滸の人がこれである」。趙範自身が烏滸の民であったとは思えないが、その影響を受けた文化圏の出身であったとは考えられる。 【参照】韓玄 / 金旋 / 周瑜 / 曹操 / 趙雲 / 樊氏 / 劉琦 / 劉度 / 劉備 / 劉表 / 荊州 / 桂陽郡 / 赤壁 / 長沙郡 / 武陵郡 / 零陵郡 / 刺史 / 太守 |
趙範
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「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「趙範」の解説
荊州の桂陽郡太守。趙雲の侵攻を聞きすぐさま降伏を考える。親交のしるしとして趙雲に自身の兄嫁を差し上げようとしたところ、それに怒った趙雲に叩きのめされたため、彼の寝首を掻く計略を立てる。しかし見破られて失敗、逆に趙雲に捕らわれて降伏した。
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