豊臣側とは? わかりやすく解説

豊臣側

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:27 UTC 版)

のぼうの城」の記事における「豊臣側」の解説

石田三成いしだ みつなり秀吉側近秀吉からは今も初名で佐吉呼ばれる理知に富むが、武運恵まれず、他の家臣たちから後方支援専門だと蔑まれている。北条攻め置いて秀吉から2の軍を与えられ忍城攻略軍の総大将任命されるが、忍城が既に降伏決めていることは知らされていなかった。8年前に見た秀吉備中高松城における水攻め憧れ抱いており、事前から忍城水攻め落とそう決めていた(史実としてはこれは全くのフィクションである。詳細石田三成の項を参照)。 大谷吉継おおたに よしつぐ三成盟友であり、秀吉からは紀之介と呼ばれる秀吉から密かに忍城降伏の件を聞かされていたため、戦に転じたことに驚愕する。 武将としての才に恵まれていたため、功を焦る三成暗愚正家再三諫める一方余りにも突飛な策で敵も味方取り込んでしまう長親を将器ありと見抜いた長束正家なつか まさいえ丹羽長秀家臣算勘計算)に優れている点を秀吉買われ借り受けられる。秀吉直臣になってから態度高飛車になった。弱者には高圧的に強者には弱く応じる。三成から忍城対す軍使に任ぜられるが、これは戦を望む三成忍城の者達に対す心根測るための策略として使われたに過ぎず結果降伏するはずの忍城が戦に転じる原因となった前述のように算術優れ三成匹敵するほどの頭脳をもつ反面、兵や配下の将を無駄死にさせるほどに軍才が無い。 豊臣秀吉とよとみ ひでよし時の関白天下統一総仕上げとして大軍率いて北条領に攻め入った普段から武将たちに陰口叩かれている三成武功立てさせようと、既に降伏伝えてきた忍城攻略軍の総大将任命する山田帯刀(やまだ たてわき長束馬廻役。正家の軍才のなさには心底呆れている。正木丹波守と対決するも首を落とされ討ち死にする貝塚隼人かいづか はやと) 石田家馬廻役。酒巻靱負対決する映画版には登場しない前野与左衛門まえの よざえもん) 大谷吉継直臣柴崎和泉守対決するあっけなく倒される

※この「豊臣側」の解説は、「のぼうの城」の解説の一部です。
「豊臣側」を含む「のぼうの城」の記事については、「のぼうの城」の概要を参照ください。

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