西側諸国の連携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 02:56 UTC 版)
「ブリュッセル条約 (1948年)」の記事における「西側諸国の連携」の解説
ブリュッセル条約では戦後ヨーロッパの安全保障協力に向けた取り組みが謳われ、その内容は北大西洋条約 (NATO) の前身とも言え、またヨーロッパの相互防衛を定めたという点では似たようなものとなっている。ところがNATと大きく異なっているのは、ヨーロッパの相互防衛の規定として仮想敵国としているのがドイツとしていることである。これは翌年に発足するNATOの枠組みが、ヨーロッパが東西2つに対立するブロックとして分断されることが避けられないという認識のうえに成り立っており、つまりソビエト連邦が将来復興を成し遂げるであろうドイツよりも脅威に感じられ、また西ヨーロッパの相互防衛が北アメリカを含む大西洋地域に及ぶという考えによるものである。 1948年9月、ブリュッセル条約参加国は軍事機構の創設を決定する。最高司令官会議議長にはイギリスのバーナード・モントゴメリーを任命し、本部をフランスのフォンテーヌブローに置いた。陸軍最高司令官にはフランスのジャン・ド・ラトル・ド・タシニ、空軍最高司令官にはイギリスのジェームズ・ロブ、海軍最高司令官にはフランスのロベール・ジョジャールが指名された。 条約の規定では文化的・社会的条項で特徴があり、「諮問評議会」の設置がうたわれている。この概念の根本にあるのは、西側諸国の協力によって共産主義の拡大を止めようとするものである。ブリュッセル条約は1954年10月23日のパリ会議で調印された議定書により修正されており、新たに西ドイツとイタリアが同盟に加わることになった。これを期に西欧同盟が発足することになった。
※この「西側諸国の連携」の解説は、「ブリュッセル条約 (1948年)」の解説の一部です。
「西側諸国の連携」を含む「ブリュッセル条約 (1948年)」の記事については、「ブリュッセル条約 (1948年)」の概要を参照ください。
- 西側諸国の連携のページへのリンク