被災松をめぐる五山の送り火騒動
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「五山送り火」の記事における「被災松をめぐる五山の送り火騒動」の解説
2011年8月16日開催分において、東日本大震災被災地である岩手県陸前高田市の被災松を護摩木に加工し、被災者のメッセージを書き込み燃やすことが計画された。大文字保存会は一旦受け入れたものの、一部の放射能汚染を不安視する声を受けて放射線測定を行なった。結局、測定結果は不検出であるにも関わらず、ゼロとは言い切れないという理由で、8月6日に受け入れ中止を決めた。その決定により、京都には護摩木を運ばず、8月8日に陸前高田市で迎え火として使用した。 この大文字保存会の決定に対し、福島県伊達市長から「風評被害を広げ、結果的に東北の復興が遠くなる」との批判の声が寄せられるとともに、京都市および同保存会に抗議・非難の電話が殺到した。そのため同月10日に一度は中止の決定を覆したものの、新たに取り寄せた薪の表皮と内側を別々に検査し、表皮のみから微量な放射性セシウムが検出されたため、12日には被災松の使用中止という結末となった。 この燃やされなかった薪の一部は、京都伝統工芸大学校の学生が仏像を製作する際に使われ、陸前高田市の曹洞宗普門寺に納められたが、残りの大部分は2021年においても京都市が管理する倉庫に保管されたままになっている。 この騒動について、京都市在住の宗教学者である山折哲雄氏は「風評被害を鎮める絶好のチャンスを逃した。京都の歴史に残る汚点で、非常に情けない」と発言している。また、関谷直也東洋大準教授は「五山送り火騒動は "クレーム対応の問題" であったにも関わらず、岩手、宮城のがれきにまで放射性物質の汚染が広がっている印象を全国各地の自治体に与え、風評被害の源泉にまでなった」と指摘した。 それらの懸念の通り、2011年4月に環境省が行った調査では、被災地のがれき処理受け入れの意向を示した処理組合の数は572に上っていたが、この騒動の後の10月末の再調査では、54の市町村・組合に激減した。これは放射能汚染への懸念が原因とされ、伊達市長らが懸念した通りの結果となった。 この騒動とは対照的に、成田山新勝寺では同年9月25日に、被災松で制作した護摩木をお焚き上げで燃やした。この騒動の影響もあり、新勝寺には健康被害を不安視する抗議の電話やメールが相次いだが、検査で放射性物質が検出されなかったこともあり、当初の予定通りに実施する判断となった。
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