藤原実光とは? わかりやすく解説

藤原実光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 17:45 UTC 版)

 
藤原実光
時代 平安時代後期
生誕 延久元年(1069年
死没 久安3年5月21日1147年6月20日
改名 実光→西寂(法名)
別名 日野実光、正字:實光
官位 従二位権中納言
主君 堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族 藤原北家真夏流日野家
父母 父:藤原有信、母:藤原実政の娘
兄弟 実光宗光、資経、有範、範綱、資光、宗慶、増覚、覚秀、増実、藤原宗兼
藤原有定の娘、高階重仲の娘
日野資憲、資長、光成、光澄、覚海、忠玄、慶智
テンプレートを表示

藤原 実光(ふじわら の さねみつ)は、平安時代後期の公卿儒学者漢詩人歌人日野実光とも。藤原北家真夏流(日野家)、右中弁藤原有信の長男。官位従二位権中納言。日野家11代当主にあたる。

経歴

寛治5年(1092年文章得業生になる。因幡権掾縫殿助右衛門少尉を歴任し、康和2年(1100年従五位下叙爵

勘解由次官、右衛門権佐、右少弁、防鴨河使を歴任。天仁3年(1100年)左衛門権佐に任ぜられる。周防介を兼任し、天永2年(1111年正五位下に陞叙。永久3年(1115年)左少弁に進み、保安元年(1120年近江守に任ぜられる。

勧学院別当、右中弁を歴任し、保安4年(1123年従四位上・左中弁に叙任される。天治2年(1125年)には正四位下に昇り、大治5年(1130年)右大弁となる。天承元年12月(1132年1月)参議に任ぜられて、左大弁、勘解由長官を兼ねる。翌年には美作権守も兼任。

長承3年(1134年従三位大宰大弐に叙任。保延2年(1136年)権中納言、大宰権帥に進む。保延5年(1139年正三位に昇り、保延6年(1140年)従二位に至る。

康治2年12月(1144年1月)中納言を辞し、翌年出家。久安3年(1147年)薨去。享年79。

官歴

  • 寛治5年12月29日(1092年2月8日):文章得業生[1]
  • 寛治6年(1092年)正月25日:因幡少掾
  • 嘉保3年(1096年)正月24日:縫殿助
  • 永長2年(1097年)正月23日:蔵人
  • 承徳3年(1099年)正月22日:右衛門少尉、蒙使宣旨
  • 康和2年(1100年)正月5日:従五位下(策)
  • 康和5年(1103年)11月1日:勘解由次官
  • 長治2年(1105年)3月10日:右衛門権佐、蒙使宣旨
  • 長治3年(1106年)正月5日:従五位上
  • 嘉承元年12月27日(1107年1月22日):右少弁(佐如元)
  • 嘉承3年(1108年)3月:防鴨河使
  • 天仁3年(1110年)正月28日:左衛門権佐、周防介
  • 天永2年(1111年)正月6日:正五位下(佐労) 12月13日:昇殿
  • 永久3年(1115年)8月13日:左少弁
  • 永久5年(1117年)4月19日:蔵人
  • 保安元年(1120年)11月25日:近江守(止蔵人佐)
  • 保安2年(1121年)3月:勧学院別当
  • 保安3年12月23日(1123年1月22日):右中弁
  • 保安4年(1123年)正月6日:従四位下 11月17日:従四位上(大嘗會國司) 12月20日:左中弁
  • 天治2年(1125年)11月20日:正四位下(石清水行幸賞)
  • 大治5年(1130年)右大弁
  • 天承元年12月22日(1132年1月12日):参議 24日:左大弁、勘解由長官
  • 天承2年(1132年)正月22日:美作権守
  • 長承2年(1133年)2月22日:大宰大弐(去大弁)
  • 長承3年(1134年)正月5日:従三位(行幸松尾北野行事賞) 22日:大宰大弐
  • 保延2年(1136年)11月4日:権中納言、大宰権帥
  • 保延5年(1139年)正月7日:正三位(納言労。先年行幸稲荷祇園行事賞)
  • 保延6年(1140年)正月6日:従二位(保安二年行幸春日行事賞)
  • 康治2年12月(1144年1月):辞中納言
  • 天養元年(1144年)10月22日:出家

系譜

  • 父:藤原有信[2]
  • 母:藤原実政の娘
  • 妻:藤原有定の娘
    • 男子:日野資憲
  • 妻:高階重仲の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:光澄
    • 男子:覚海
    • 男子:忠玄
    • 男子:慶智

甥に親鸞がいる。

脚注

  1. ^ 以下、『公卿補任
  2. ^ 以下、『尊卑分脈

藤原 実光(ふじわらの さねみつ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 06:21 UTC 版)

ひみつの陰陽師」の記事における「藤原 実光(ふじわらの さねみつ)」の解説

蔵人華やかな美貌をした色男物事要領よくこなす器用さ持っている。玲雅の親友だったが、呪詛事件起こし玲雅と対決敗れて顔の半面に醜い傷を負った。しばらく謹慎した後、再び出仕し始める。

※この「藤原 実光(ふじわらの さねみつ)」の解説は、「ひみつの陰陽師」の解説の一部です。
「藤原 実光(ふじわらの さねみつ)」を含む「ひみつの陰陽師」の記事については、「ひみつの陰陽師」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤原実光」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原実光」の関連用語

藤原実光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原実光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原実光 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのひみつの陰陽師 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS