菊花の約
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「菊花の約」は、全体を白話小説の『古今小説』 第十六巻 「范巨卿雞黍死生交」から、時代背景を香川正矩『陰徳太平記』によっている。登場人物の丈部左門が張劭に、赤穴宗右衛門が范巨卿に対応する。時は戦国時代、舞台は播磨国加古(今の兵庫県加古川市)である。 左門は母とふたり暮らしで清貧を好む儒学者である。ある日友人の家に行くと、行きずりの武士が病気で伏せていた。丈部は彼を看病することになった。この武士は、赤穴宗右衛門という軍学者で、佐々木氏綱のいる近江国から、故郷出雲国での主、塩冶掃部介が尼子経久に討たれたことを聞いて、急ぎ帰るところだった、と、これまでの経緯を語った。しばらく日がたって、宗右衛門は快復した。この間、左門と宗右衛門は諸子百家のことなどを親しく語らい、友人の間柄となり、義兄弟の契まで結んだ(衆道)。五歳年上の宗右衛門が兄、左門が弟となった。宗右衛門は左門の母にも会い、その後も数日親しく過ごした。 初夏になった。宗右衛門は故郷の様子を見に、出雲へ帰ることとなった。左門には、菊の節句(重陽の節句)、九月九日に再会することを約した。ここから、題名の「菊花の約」がきている。さて、季節は秋へと移っていき、とうとう約束の九月九日となった。左門は朝から宗右衛門を迎えるため掃除や料理などの準備をし、母が諌めるのも聞かず、いまかいまかと待ち受けるばかり。外の道には、旅の人が幾人も通るが、宗右衛門はまだ来ない。夜も更け、左門が諦めて家に入ろうとしたとき、宗右衛門が影のようにやってきたのだった。左門に迎えられた宗右衛門だったが、酒やご馳走を嫌うなど不審な様子を見せる。訣を尋ねられると、自分が幽霊であることを告白するのだった。宗右衛門は、経久の手下となったいとこ、赤穴丹治に監禁され、とうとう今日までになってしまった。しかし「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」という言葉を思い出し、自死し、幽霊となってここまで辿り着いたのだ、と語った。そして、左門に別れを告げ、消えていった。 丈部親子は、このことを悲しみ、一夜を泣いて明かした。次の日左門は、宗右衛門を埋葬するために出雲へと旅立ち、丹治に会った。左門は魏の公叔痤の故事を例に挙げ、それに比べて丹治に信義のないのを責めて斬り殺す。その後左門は行方をくらませるが、主君の尼子経久は、宗右衛門と左門の信義を褒め称え、その跡を追わせなかった。物語は「咨軽薄の人と交はりは結ぶべからずとなん」と、冒頭の一節「交りは軽薄の人と結ぶことなかれ」と同意の文をもって終っている。
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