自然選択の遺伝学的理論
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「ロナルド・フィッシャー」の記事における「自然選択の遺伝学的理論」の解説
フィッシャーは優生学の熱心な推進者でもあり、その考えは彼の遺伝学に関する著作でも度々言及されている。1930年に出版された『自然選択の遺伝学的理論』では、性淘汰や擬態、権力の発達についての自説を展開しているが、その中で「生物に自然に対する適性を与える突然変異の確率は、今後突然変異の数が増大していくにつれて逆に減少していく」と主張するとともに、「集団数の増大が多様性を生み、それによって生存の機会の数も増大していく」と述べている。これらの考えは後に集団遺伝学として知られる研究分野の基礎となった。さらにフィッシャーはこの考えはヒトに関しても適用できると述べ、同書の3分の1ほどがそのことについて割かれている。 それによると「文明の衰退と凋落は、上流階級の生殖力の低下に帰することができる」とし、1911年のイギリスの国勢調査結果を基に、生殖力と社会階級とに逆関係があるという意見を述べた(少なくとも彼はそう信じていたわけだが、この見解は当然ながら客観性を欠くもので、上記の統計結果はむしろ子供が少ないことによる経済的負担の少なさに帰することができると言えよう)。そして子供の少ない家庭への補助を撤廃する一方、子だくさんの家庭に対して父親の収入に比例した補助金を出すことを提案しているが、これに関してはフィッシャー自身が8人の子供の父親であり、その養育のために彼が負わなければならなかった経済的負担が、彼の遺伝学・進化論的確信を深める原因の一つとなり、この発言もそのことと無関係ではないとする家族や友人達の証言もある。 『自然選択の遺伝学的理論』が出版されると、チャールズ・ゴールトン・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの孫)を初めとした複数の科学者が同書を高く評価し、特にダーウィンとはそのことが契機となって少なくとも以後3年間は親密に文通する間柄となった。同書は20世紀後半の進化生物学者ウィリアム・ドナルド・ハミルトンにも多大な影響を与え、彼の血縁選択説が成立する遺伝学的な面での礎にもなった。 また、1929年から1934年にかけて、優生学会はフィッシャーらを中心として、優生的観点から断種を容認する法律(結果的には否決されたが)の制定を求めるキャンペーンを行っている。
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