脱税告発と証人失踪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 23:03 UTC 版)
「アルバート・アナスタシア」の記事における「脱税告発と証人失踪」の解説
1954年、脱税容疑で告発された。アナスタシアの元用心棒ヴィンセント・マクリが税務当局の求めに応じて脱税の証言をする予定だったが法廷に現れず、のちブロンクスの自分の車の中で死体で発見された。 1947年、アナスタシアはフォート・リーのハドソン川ほとりのパリセーズに34部屋と5つのバスの豪邸を建てた。鏡付の大理石テーブルやグランドピアノ、壁にはローマ剣闘士の肖像画が飾ってあった。この豪邸がニューアークの検察当局の関心を引き、1955年に脱税で起訴した。彼らの頼みで、証言する予定だった建築業者は一回目の公判が終わった後、身の安全を考えてフロリダに移住していたが、家に大量の血痕を残して妻と共に行方不明になった。脱税の証言者がいなくなり、アナスタシアは放免された。また移民管理局により不法入国の嫌疑を受けるが裁判で巻き返し、1956年、訴状は却下され放免された。 ボス就任後は独裁的な振る舞いが目立ち始め、他のボスに疎んじられることが多くなった。1950年代後半、マイヤー・ランスキーのキューバの賭博ビジネスに割り込もうとトラフィカンテJr.に乗っ取りをけしかけ、トラフィカンテJr.がこれをランスキーに密告した為仲は険悪となり、更にランスキーに断られると無断でキューバ進出の準備を始めたとされる。後年政府の密告者に転じたジョセフ・ヴァラキによれば、この頃アナスタシアは競馬の賭けで負け続けて大金を失い、予見不可能な行動をするようになったという。
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