聖ピオ・ダ・ピエトレルチーナの遺体
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「ピオ神父」の記事における「聖ピオ・ダ・ピエトレルチーナの遺体」の解説
2008年3月3日、死の40年後に、公開に向けて、聖ピオの遺体が地下聖堂から掘り出された。教会の発表では、遺体は良好な状態を保っていた。サン・ジョヴァンニ・ロトンドの聖堂に派遣された教皇特使のドメーニコ・ダンブロジオ大司教は、「頭の最上部は部分的に白骨化しているが、あごは完全で、残りの部分は保存状態が良い」と述べた。 「聖痕は見えなくなっている。」大司教ダンブロジオも声明でそう証言した。大司教は、聖ピオの手が「ちょうど今マニキュアを塗ったばかりのように見えた」と述べた。顔が分かるように葬儀業者が顔を修復することが望まれたが、劣化損傷があったので、顔は実物そっくりのシリコン・マスクでおおわれた。 4月24日、列聖省長官のジュゼ・サライヴァ・マルティンシュ枢機卿は、ピオ神父が修道院の地下室で水晶と大理石と銀の墓に入った状態で公開される前に、サン・ジョヴァンニ・ロトンドの恩寵の聖母教会で15,000人の信者のためにミサを執り行った。ピオ神父は、水晶と金糸で刺繍した白い絹のストールと茶色のカプチン修道会士服を着て、両手で大きな木の十字架を握っている。2008年12月までに、イタリアを中心に世界中から巡礼者800,000人が神父を偲びに教会を訪れる申し込みをしたが、水晶の棺の側を一列になって進むことができるのは1日に7,200人が限度だった。 公開は2009年9月まで延長された。 聖ピオの遺体はサン・ジョヴァンニ・ロトンド近くの聖パードレ・ピオ教会(the church of Saint Pio)に安置された。2010年4月、遺体は、特別に作られた金色の地下礼拝堂に移された。
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