総督府研究所
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1909年2月23日、高木は欧米を視察し、4月1日に自身が設立した台湾総督府中央研究所(中国語版)の所長に就任した(p177)。研究所設立前は上水道やガスもなく、研究で使用する試験器具の消毒もアルコールを用いていた(p195)。それまでは殖産部や樟脳専売局が組織内に研究所を抱えていたが、高木は台湾に根差した独自の研究所が必要と考え、後藤に構想を持ち掛けた。高木による数分の説明を受けた後藤は1時間あまりでそれを咀嚼し、総督府として高木を後押しすることになった(pp177-178) 所長の任期中に高木は179本の報告を完成し、そのうち35本はシロアリについてのもので、114本は化学研究だった(p67)。 1911年2月18日、高木はドレスデンで開かれた万国衛生博覧会に参加、過去10数年における台湾での医療衛生改善状況を発表し、ドイツ語での著作『Die hygienischen verhältnisse der insel Formosa』を刊行した(p193)。
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