総督府の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 22:32 UTC 版)
ランゴバルド人が内陸部を制圧したため、東ローマ帝国の勢力は諸公国(ローマ公国、ヴェネツィア公国、カラブリア公国、ナポリ公国、ペルージャ公国、ペンタポリス公国、テマ・ルカニアなど)が押さえる海岸の諸都市に限られた。これらの帝国領の政治的・軍事的な長であるラヴェンナ総督は、コンスタンティノープルにいる皇帝の代理に相当する地位であった。その直接の統治領域はアペニン山脈の東側を覆っていた。その他の帝国領はドゥクスやマギストリ・ミリトゥムがより強い権威を持っていた。とはいえ、少なくとも名目上は、イタリア半島全体がラヴェンナ総督府の管轄とされていた。同じ帝国領でも、シチリア島は独自の政府がおかれ、またコルシカ島やサルディーニャ島はアフリカ総督府が統括した。 パヴィーアを首都としたランゴバルド王国は、ピエモンテ、ロンバルディア、ヴェネツィア本土(ヴェネツィア島を除く大陸部)、トスカーナ、カンパニア内陸部を押さえ、640年にはリグリアからも帝国の勢力を駆逐した。ナポリやカラブリアの帝国領もベネヴェント公国によって少しずつ削られていき、ローマでは教皇が実質的な支配者となっていた。教皇とラヴェンナ総督は、対立と協力を繰り返した。教皇はローマにおける帝国への不満緩和に利用される一方で、教皇やローマ元老院は、自分たちを支配している総督を外部からの介入者として疎んでいた。 総督府の歴史は、皇帝による集権的主権のもとでの統治からヨーロッパ封建制への過渡期にあたっていた。コンスタンティノープルの皇帝の努力にもかかわらず、総督などの中央に結び付けられていた役人は次第に世襲的、血族的になり、地域の土地所有者、支配者に変質していった。またランゴバルド人に対する防衛戦力供給のために、最初は正規の帝国軍に付随するだけだった領内からの徴募兵が、次第に中央から独立した常備軍の様相を呈するようになった。こうした軍隊はラヴェンナ以外でもイタリア各地の帝国領都市でみられ、中世イタリア都市国家の市民軍の先駆となった。
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