綏遠無血解放、中華人民共和国での活動
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「董其武」の記事における「綏遠無血解放、中華人民共和国での活動」の解説
1945年(民国34年)7月、傅作義が第12戦区司令長官に任命されると、董其武は第12戦区政治部主任兼晋陝綏辺区副総司令に任ぜられた。以後、日中戦争時は友軍であった八路軍(後に中国人民解放軍)との戦いを展開することになる。同年11月、包頭城防司令を兼任し、翌1946年(民国35年)夏には暫編第3軍軍長となった。この年の10月には、傅の後任として綏遠省政府主席兼同省保安司令兼西北軍政長官公署副長官に任命されている。1949年(民国38年)1月、傅が北平を無血開城すると、董も中国共産党や傅から平和裏の解放を呼びかけられた。同年9月19日、董はこれに応じて起義を宣言した。 中華人民共和国成立後も、董其武は綏遠軍政委員会副主席兼綏遠省人民政府主席、人民解放軍綏遠軍区副司令員兼第23兵団司令員に任命されている。1951年、董は中国人民志願軍第23兵団司令員として軍を率いて朝鮮戦争に参戦、金日成から二級自由独立勲章を授与されている。帰国後の1953年、第69軍軍長となる。1955年、上将相当の地位と一級解放勲章を授与された。1966年の文化大革命を契機に引退している。以後、全国人民代表大会常務委員、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員、同副主席などを歴任した。1980年1月、中国共産党に加入し、1988年、勝利功勲栄誉章を授与されている。1989年、北京で病没。享年91(満89歳)。
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