経歴・独立運動とは? わかりやすく解説

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経歴・独立運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 19:15 UTC 版)

アスラン・マスハドフ」の記事における「経歴・独立運動」の解説

1951年9月集団追放先のカザフ・カラガンダで生まれ1957年6歳時に家族と共にチェチェン帰還した1969年ソ連軍入隊する1972年トビリシ高等砲兵学校卒業する1981年レニングラード現在のサンクトペテルブルク)のカリーニン名称軍事大学卒業する兵科砲兵バルト三国極東地方ハンガリー駐在したソ連軍での最終階級大佐1991年ソ連軍退役しチェチェン共和国国防軍身を投じる1993年チェチェン参謀総長就任し1994年始まったロシア連邦軍との第一次チェチェン紛争戦闘指揮した。この戦争では、ジョハル・ドゥダエフ大統領とともに最後まで徹底抗戦した1996年8月ロシア連邦安全保障会議書記アレクサンドル・レベジ停戦合意ハサヴユルト合意)に調印した1996年10月暫定政権首相に就任し、1997年1月ロシア軍が完全撤退した直後実施されチェチェン大統領選挙当選し2月12日就任同年5月ロシア連邦大統領エリツィンと「平和と相互関係に関する条約」を締結した。 しかし、シャミル・バサエフ率い強硬派武装勢力1999年8月に「イスラム国家建設」を唱えて隣のロシア連邦 ダゲスタン共和国侵攻9月モスクワなどで集合住宅連続爆破事件起こしたことからロシア連邦軍に再び攻め込まれ2000年2月首都グロズヌイ制圧された後、武装反乱指揮容疑ロシア連邦検察当局から指名手配され追われるとなった2002年大統領任期切れてロシア側は、新たな政権樹立したが、マスハドフは、憲法上、戦時下のため、大統領任期延長されチェチェン独立派分離派)のWebサイトでは、「チェチェン共和国(イチケリア)大統領」の称号名乗っていた。ウラジーミル・プーチン大統領に対しては、政治的な対話によるチェチェン問題解決訴え続けてたようにシャミル・バサエフチェチェン強硬派とは一線を画す穏健派指導者であった2004年9月におきたベスラン学校占拠事件でも、ロシア側はマスハドフの関与主張していたのに対し、マスハドフは9月23日に「事件無関係である」との声明発表しており、声明の中でマスハドフは、テロ行為厳しく非難し犯行声明出していたバサエフらを自己の責任裁判にかけると言明していた。また、ベスラン事件背景として、ロシア軍チェチェン侵攻が、ジェノサイドであるとして、ロシア軍殺害されチェチェン人25万人のうち、児童が42000人に上っていることを指摘していた。 2005年1月26日アムネスティ・インターナショナルは、2004年12月にマスハドフの親類8人が対立する親ロシア派チェチェン軍により連行され消息不明になっている報告したが、後に解放された。 2005年3月8日ロシア連邦保安庁FSB)のニコライ・パトルシェフ長官は、同庁特殊部隊がマスハドフを殺害したことを発表したロシア連邦政府は、シャミル・バサエフなど残存武装勢力掃討作戦強化すると見られる穏健派のマスハドフの殺害により平和解決の可能性を探る道が閉ざされチェチェン情勢今後混迷予想される先代: ゼリムハン・ヤンダルビエフ チェチェン独立派大統領 1997年 - 2005年 次代: アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフ 表 話 編 歴 チェチェン指導者1991- ) チェチェン共和国大統領首長) Salambek Khadzhiyev(国民復興政府議長1995年1月 - 1995年10月) Doku Zavgayev(チェチェン元首1995 - 1996Nikolay Koshman(チェチェン連邦政府代表1999 - 2000アフマド・カディロフ行政府長官暫定大統領)、2000 - 2003) アナトリー・ポポフ(長官代行2003年8月 - 10月アフマド・カディロフ2003 - 2004セルゲイ・アブラモフ代行2004年5月 - 10月アル・アルハノフ2004 - 2007ラムザン・カディロフ代行2007年2月 - 3月ラムザン・カディロフ2007 - ) チェチェン・イチケリア共和国大統領) Lecha Magomadov(最高暫定評議会議長1991年9月15日 - 17日) Huseyn Akhmadov(暫定理事会議長1991年9月 - 10月) Bagauddin Bakhmadov(最高暫定評議会議長1991年10月 - 11月ジョハル・ドゥダエフ1991 - 1996ゼリムハン・ヤンダルビエフ1996 - 1997アスラン・マスハドフ1997 - 2005アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフ2005 - 2006ドク・ウマロフ1(2006 - 2007) アフメド・ザカエフ(英語版)2(首相2007 - 2009カフカース首長国アミールドク・ウマロフ2007 - 2013アスランベク・ヴァダロフ自称2010年8月1日 - 13日アリアシャブ・ケベコフ2014 - 2015) マゴメド・スレイマノフ(英語版)(2015年5月 - 8月) Абдулаев Магомед Гаджиевич(2015年8月12日 - 17日) Zalim Shebzukhov(2015 - 2016チェチェン・イチケリア共和国1991年建国2000年以降政府としての実体はなく、武装勢力化。1 カフカース首長国建国および移行自身アミールへの就任一方的に宣言。 2 亡命政権としてのチェチェン・イチケリア共和国首相就任宣言

※この「経歴・独立運動」の解説は、「アスラン・マスハドフ」の解説の一部です。
「経歴・独立運動」を含む「アスラン・マスハドフ」の記事については、「アスラン・マスハドフ」の概要を参照ください。

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