紅白出演のエピソード
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紅白歌合戦 には白組(男性チーム)で出場している。美川によると初出場した当時(1968年)の紅白は、一度落選すると紅白に復帰するのは大変な時代だったという。このため、連続出場した後の1975年はレコード会社の様子から秋頃には落選の察しがついた。11月にマネジャーから落選を告げられた時は、特に驚きもせず「あっそ」と一言返すだけだった。また1991年に17年ぶりとなる紅白に返り咲いた時は、「本当に嬉しかった」と回想している。 そのまま再び連続出場すると、ほどなくして毎年のように高価で豪華な衣装で出演する。これは小林幸子への対抗意識によるという。後年ある取材で美川は「紅白の衣装は全部処分した」と言ったが、朱雀の衣装だけはラスベガスのショーで再び着用したとのこと。 2005年はスキウタでランクインした越路吹雪の「愛の讃歌」を歌唱。越路への畏敬の念からか、華美という点では抑えた衣装で出場した。またこの年の紅白には氣志團出演箇所に、当時、美川が自身の「そっくりさん」として公認しているものまねタレント・そのまんま美川も出演していた。 2010年の紅白において、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなど「前年に60回のメモリアルを終えたので、新しい紅白は新しい時代の雰囲気で」と、NHKがそれまでとは違う構成にする方針をとり「豪華な衣装対決」を否定される形となってしまい、美川憲一と小林幸子は出場内定枠から漏れてしまった。その後、小林は出場枠にくい込めたが美川はそのまま落選してしまった。 そして2010年、事務所に訪れたNHKの紅白担当の管理職から直々に「これまで色々とやっていただけたんですが、今年の出場はありません」と伝えられ、「これまでありがとうね」と感謝の言葉を述べたという。後日美川の紅白落選が世間に報じられ、本人は「“勇退”や“卒業”などとは言いたくなく、あくまで“落選”と報じられることにこだわりました」としている。 2014年、自身の公演時に報道陣の取材を受けた際、過去の紅白連続出場について、「ヒット曲があったから出られたわけじゃないのよ。CMで話題になって出場して、それが長年続いた」と語った。また音楽専門誌記者は、美川の元事務所関係者が「ヒット曲がないのに紅白に出場し続けるのは大変だった」との発言を証言している。
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