こうはく‐うたがっせん【紅白歌合戦】
紅白歌合戦(こうはくうたがっせん)
12月31日にNHKで放送される。2000年で51回目を迎える。おおみそか恒例の歌番組だ。男性歌手が白組、女性歌手が赤組に分かれて、歌合戦を繰り広げる。過去の成績は、赤組白組ともに、25勝25敗だ。
紅白歌合戦は、第1回目の放送が1951年だ。このときは、まだラジオ放送だった。テレビで中継されるようになるのが、その3年後の1953年からだ。
1964年には、紅白のカラー放送が始まった。この年は、東京オリンピックが開催されたので、カラーテレビが大幅に普及した年でもある。同じころ、紅白歌合戦の視聴率は80%を超え、国民的な超人気番組になった。
1989年には、番組構成が、第1部と第2部に分けて放送されるようになった。第1部には、若い歌手が重点的に出演する。第2部には演歌歌手などが出演する。この理由は、特に、未成年者の歌手は夜11時以降の出演ができない、ということがある。
紅白は、近年も50%台の高視聴率を保っている。2000年初出場するのは、花*花「あ~よかった」や小柳ゆき「あなたのキスを数えょう」など、13組だ。また、2000年の出演者の中で出場回数が多いのは、北島三郎…37回、森進一…33回などだ。
(2000.12.31更新)
NHK紅白歌合戦
(紅白歌合戦 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 01:28 UTC 版)
『NHK紅白歌合戦』(NHKこうはくうたがっせん)は、日本放送協会(NHK)が1951年(昭和26年)から毎年大晦日に放送している男女対抗形式の大型音楽特別番組。日本の長寿番組のひとつ。通称は「紅白」。
注釈
- ^ 以前はアナログ・デジタル2K衛星放送でもサイマル放送されていた。
- ^ 東日本大震災の影響で同放送期間が延長された盛岡、仙台、福島の3局は、第62回(2011年)まで。
- ^ 但し、いずれもエリアフリーによる地域外配信やタイムフリーによる聞き逃し配信のサービスの利用は不可。
- ^ 初期では歌手兼司会は認められておらず、司会を担当した歌手がその年のみ不選出となった例がある。
- ^ 坂本九、美空ひばり、森昌子、和田アキ子、中居正広、嵐、井ノ原快彦など
- ^ 紅組からソロで、白組から「m-flo loves Akiko Wada」として出場。
- ^ 紅組からソロで、白組からサザンオールスターズとして出場。
- ^ また、第8回(1957年)まではグループの出場そのものが禁止だった[20]。
- ^ ボーカルのFukaseは男性だが、メンバーのSaoriは女性。
- ^ ただし、聖飢魔II等のメイクをしているアーティストや、メンバーの中に素顔非公開のDJ LOVE(SEKAI NO OWARI)のケースがある。
- ^ 第41回(1990年)のG-クレフ、第54回(2003年)の女子十二楽坊など。
- ^ 美空ひばり生誕70周年記念として自身が作詞・作曲した「愛燦燦」を、「美空ひばり × 小椋佳」として歌唱。
- ^ 第60回(2009年)の矢沢永吉、第61回(2010年)と第68回(2017年)の桑田佳祐、第70回(2019年)と第71回(2020年)の松任谷由実、第70回(2019年)の竹内まりや、第73回(2022年)の安全地帯など。
- ^ 第69回(2018年)の北島三郎、第72回(2021年)の細川たかし。
- ^ 第59回(2008年)のエンヤ、第60回(2009年)のスーザン・ボイル、第62回(2011年)のレディー・ガガ、第74回(2023年)のクイーン+アダム・ランバートなど。
- ^ 第66回(2015年)の小林幸子、第72回(2021年)の松平健など。
- ^ 第68回(2017年)の安室奈美恵、第73回(2022年)の加山雄三と氷川きよし。
- ^ 第61回(2010年)の桑田佳祐、第65回(2014年)の中森明菜。
- ^ 過去には本人に対しては出場決定後の通知のみであった。そのため、江利チエミや田原俊彦などで出場決定後に本人が辞退の意志を表明するという出来事が起きている。
- ^ 連続テレビ小説『べっぴんさん』主題歌を担当。
- ^ 連続テレビ小説『まんぷく』主題歌を担当。
- ^ 連続テレビ小説『なつぞら』主題歌を担当。
- ^ 第86回NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学生の部)を提供。
- ^ 連続テレビ小説『おちょやん』主題歌を担当。
- ^ 第89回NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学生の部)を提供。
- ^ ジャニーズ事務所(当時)の創業者であるジャニー喜多川によると、「NHKに2枠固定と言われ意固地になっていた」という[29]。
- ^ 第47回(1996年)は、近藤真彦を含めて3組。
- ^ さらに、スノープリンス合唱団が企画『こども紅白歌合戦』に出演。
- ^ 近藤真彦、SMAP、TOKIO、V6、嵐、関ジャニ∞、Sexy Zoneの7組。
- ^ 嵐、関ジャニ∞、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、King & Prince、SixTONES、Snow Manの7組。ただし、Snow Manは出場を辞退した。
- ^ 同事務所から出場歌手が0組となるのは第30回(1979年)以来44年ぶり。
- ^ 但し2017年には、カウントダウン公演ではなく通常公演という形ではあるが、大晦日にライブを行っている。
- ^ 第60回(2009年)の布施明、第64回(2013年)の北島三郎、第66回(2015年)の森進一など。
- ^ 当時、NHKの音楽番組に出演していたアメリカ出身の歌手[40]。
- ^ 実際の滞在先は当時国交と直行便がなかった韓国のソウルとも言われている。
- ^ 前川以外のメンバーは紅組の藤圭子(前川の妻、当初は直接対戦の予定であった)のバックコーラスとして出場したものの、正式な出場者のエントリーからは外された。
- ^ 記録上はそれぞれをソロ歌手扱い。
- ^ 第8回(1957年)で起用された田中角栄が該当。なお、田中は当時郵政大臣だった。
- ^ 第16回(1965年)で起用された松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)会長の松下幸之助が該当。
- ^ 第23回(1972年)が該当。
- ^ Jリーグ発足前にも1984年(第35回)に釜本邦茂が選ばれた。[1]
- ^ 初例は、第6回(1955年)のトニー谷。
- ^ 卒業メンバーがセンターの卒業曲が歌唱されなかった例として、第66回の高橋みなみ(当時AKB48)の『AKB48 紅白2015 SP 〜10周年記念メドレー〜』として「会いたかった」「フライングゲット」「ヘビーローテーション」「恋するフォーチュンクッキー」の4曲(AKB4810周年)、第72回の生田絵梨花(当時乃木坂46)の『きっかけ』(乃木坂46の結成10周年)、第73回の齋藤飛鳥(当時乃木坂46)の『裸足でSummer』(齋藤飛鳥初センター曲)などがある。
- ^ 紅白のみならず他の番組であっても、公共放送であるNHKではロケ弁やケータリングの提供は絶対にされない。
- ^ 『レコ大』からの移動に間に合わなかった歌手は不在のまま進行していたが、ギリギリステージに駆け込んできた歌手もいた。
- ^ 例外の年もある。
- ^ 通常は総合司会は自分から名乗り、両組司会は総合司会などから紹介されるのが通例だが、第54回(2003年)、第55回(2004年)、第68回(2017年)以降は両組司会自身から名乗っている。また、第24回(1973年)は相手の司会者が、第49回(1998年)は両組チームリーダーが紹介する形だった。1980年代頃までは総合司会は名乗らない事が多かった。
- ^ 安室奈美恵、嵐など。2020年の嵐は、中継の参加ではなくNHKホールの歌唱で大トリを務める場合には20分のもち時間があるとの報道もあった。
- ^ 第65回(2014年)のSMAPなど。
- ^ 第66回(2015年)のMISIA。
- ^ 第64回(2013年)・第65回(2014年)の水樹奈々とT.M. Revolution。
- ^ 総合司会ではなく両組司会が紹介するケースや1人1人の紹介そのものをしないケースもある。第44回(1993年)まではオープニングで行っており、舞台の上に並び紹介を受けてから客席に座ることもあった。
- ^ 第32回(1981年からはBGM付きでこれらの紹介が行われるようになり、第46回(1995年)、第49回(1998年) - 第53回(2002年)、第55回(2004年) - 第59回(2008年)、第62回(2011年)、第63回(2012年)の通算13回、第64回(2013年)、第65回(2014年)の2回は、それぞれ同一のBGMが流用され続けていた。
- ^ 第62回(2011年)に特別出演したレディー・ガガなど。
- ^ 引退・休業・解散・活動休止では小畑実、都はるみ、チェッカーズ、安室奈美恵、X JAPAN、絢香、嵐、氷川きよしなど。卒業・脱退ではHIRO(出演時EXILE)、橋本奈々未、西野七瀬、生田絵梨花、齋藤飛鳥(出演時乃木坂46)、平野紫耀、岸優太、神宮寺勇太(出演時King & Prince)、小田井涼平(出演時純烈)など。
- ^ 実現しない理由としてメンバー全員での出演のため18歳未満のメンバーがいるため、遅くとも22時までの出演となるためこれまでで一番遅い時間での出演は第72回の乃木坂46で22時終わりである。ただし、収録での対応の場合は異なる。
- ^ 第71回では嵐の中継出演の発表後にも嵐が白組トリもしくは大トリを務める可能性があるとの報道もあった。
- ^ 制作側もその可能性は織り込み済みで、1曲分余裕をとって番組を進行していた。
- ^ 第58回(2007年)の「世界に一つだけの花」(SMAP)、第65回(2014年)の「ふるさと」(嵐)。
- ^ この演出を行うようになったのは第42回(1991年)以降。第46回(1995年)は風船が落ちてきて終了。第50回(1999年)はBS2では終了後も「カウントダウンスペシャル」の題で放送を続行し、総合テレビも23時58分から飛び乗る関係で演出無しとなった。現在このクラッカーを打ち上げる演出はNHKホールを使う他の音楽系の特番(『NHKのど自慢』のグランドチャンピオン大会など)でもエンディングの締めくくりに使用されることが多い。
- ^ 第67回(2016年)のみ23時44分30秒で終了。最後の30秒は、タモリとマツコ・デラックスがNHKホールを去っていくシーン(『ふるさと審査員』として招待された夫婦が、入場整理券を忘れて客席に着くことができずホール内をさまようという設定の寸劇で、放送中に随時挿入)が放送された。
- ^ 単発番組の予定だったが、あまりの好評により、翌年の開催が決定した。なおこの時、紅白が長寿番組化することを予想していたスタッフはいなかったという。
- ^ 第9回(1958年)のみ。当時はまだテレビの音響設備が不完全であり、それに加え、コマ劇場が円形のステージであったこと、また、観客からの声援が終始凄まじかったことも手伝い、紅組トリおよび大トリを務めた美空ひばりを始めとして、後ろの楽団の演奏が全く聞き取れず、歌っている最中に音を思い切り外してしまうケースが多発。歌手側や局関係者からも「コマ劇場の使いにくさ」を指摘する声が上がり、結局、コマ劇場を会場とした紅白はこの1回のみに留まってしまった。
- ^ NHK-FM『今日は一日○○三昧』など。
- ^ 第4回は淡谷のり子がトリを取ったとされているが、渡辺はま子がトリを取ったという異説もあり、渡辺説を採用すれば、全回でコロムビア所属の歌手が紅組トリを務めたことになる。
- ^ 同回の瞬間最高視聴率は、五月みどりによる「一週間に十日来い」歌唱時の85.3%。
- ^ 1961年 - 2000年に行われていたニールセンによる調査では、同じ第14回で記録した89.8%が最高記録である。なお、ビデオリサーチ社以前も含めた最高視聴率では、1955年5月30日、日本テレビのボクシング中継・パスカル・ペレス対白井義男戦で記録した96.1%がある(電通調べ[76])。
- ^ 歌手席は第52回(2001年)の第1部内の企画で復活。
- ^ 選手宣誓は第58回(2007年)のみ復活。
- ^ 衣装の大きさについては、NHKホールのステージエレベーターに乗せられるものまでと制限がかけられる。2人は紅白後に衣装を保管しており、自身のコンサートや他番組、イベント等で再度披露したりしている。また、小林が本番の衣装披露時に衣装コンピュータの故障や電気トラブルで完全成功といかなかった事例(第43回(1992年)、第54回(2003年)。この時は翌年にそれぞれ30周年記念リサイタル、『NHK歌謡コンサート』で再度衣装を披露しリベンジしている)があるほか、第55回(2004年)では同年10月23日に小林の出身地・新潟県で発生した新潟県中越地震の被災者に配慮して豪華衣装披露を自粛した。
- ^ 和田アキ子は紅白の出場歌手が発表される以前から衣装を制作している小林に否定的な考えを持っており、この件がきっかけで2人の間に確執が生じた[78]。なお、小林は和田の意見に対し、「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならばじかにはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと反論している。
- ^ 愛内里菜、水森かおり。
- ^ 先述の通り、BSサイマル放送は第61回(2010年)を最後に終了したが、第69回(2018年)にBS4K・8K放送で再開。
- ^ 実現しない理由としてメンバー全員での出演のため18歳未満のメンバーがいるため、遅くとも22時までの出演となるためこれまでで一番遅い時間での出演は第72回の乃木坂46で22時終わりである。ただし、収録での対応の場合は異なる。
- ^ ただし、許可が下りずに配信からカットされた例がある。第60回(2009年)のスーザン・ボイルや第65回(2014年)のサザンオールスターズなど(いずれも特別枠)。
- ^ 一例として、福山雅治が該当。第60回(2009年)は自身の故郷である長崎から、第61回(2010年)以降は自身のカウントダウンライブ会場である横浜アリーナからの中継出演であり、NHKホールでの歌唱は、初出場時である第44回(1993年)、白組トリの第71回(2020年)と第72回(2021年)、大トリの第73回(2022年)の計4回のみである。
- ^ 一例として、第67回(2016年)に氷川きよしが熊本城から中継出演したケースなどが該当。
- ^ 一例として、Perfume(プロジェクションマッピングを駆使した演出など)、μ's、Aqours(この2つのグループは、「アニメ映像とのシンクロ表現」が特徴)などが該当。
- ^ 第69回(2018年)のみ緑ボタン。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz NHKアナウンサー(東京アナウンス室)
- ^ 紅組キャプテン
- ^ 白組キャプテン
- ^ NHKアナウンサー(大阪アナウンス室)
- ^ ただし、歌唱曲は「東京シューシャイン・ボーイ」とする説もある。
- ^ ただし、歌唱曲は「ダゴタの黄昏」とする説もある。
- ^ 「ガラスの十代」「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」を順に披露。
- ^ 「LOVEマシーン」「ザ☆ピ〜ス!」「恋愛レボリューション21」(モーニング娘。)「付き合ってるのに片思い」(Berryz工房)「都会っ子 純情」(℃-ute)「LALALA 幸せの歌」(ハロプロワンダフルオールスターズ)を順に披露。
- ^ 「ユメタマゴ」「勇気100%」を順に披露。冒頭と2曲の間に「NYC」(NYCの3人をメンバーに含むグループであるNYC boysの楽曲)の1フレーズを挟んでいた。
- ^ 「Dearest」「evolution」「SURREAL」を順に披露[101]。
- ^ 「ハイナ!」「ユメタマゴ」「勇気100%」を順に披露[102]。
- ^ 「Sexy Zone」「Lady ダイヤモンド」「Sexy Summerに雪が降る」「Real Sexy!」「バィバィDuバィ〜See you again〜」を順に披露。
- ^ 「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」を順に披露。
- ^ 「Jupiter」「好きだ。」を順に披露(Jupiterは冒頭のみ)。
- ^ ただし、歌唱曲は「桑港のチャイナ街」とする説もある。
- ^ ただし先述の通り、渡辺はま子が紅組トリを取ったとする説もあり、合田道人の著書では、渡辺を紅組トリとする説が採用されている。なお、同回での渡辺の歌唱曲は「ああモンテンルパの夜は更けて」。
- ^ 当初予定は「夫婦坂」のみ。歌唱後にアンコールとして白組司会の鈴木健二が交渉し「好きになった人」を演奏。
- ^ 大トリの後、審査結果を待つ間にSMAPと槇原敬之のメインボーカルの下、出演者(出場歌手、司会者、ゲスト審査員、合唱団)で「世界に一つだけの花」の大合唱が行われた。
- ^ 「MIDDLE OF NOWHERE」「その先へ」を順に披露。
- ^ 「This is love」「Triangle」を順に披露。
- ^ 「not alone 〜幸せになろうよ〜」「オリジナル スマイル」を順に披露。
- ^ 「Moment」「さかさまの空」を順に披露。
- ^ 髙橋→SMAP→北島の順番で歌唱。北島は対戦の枠を超えた「究極の大トリ」扱い。
- ^ 「Mistake!」「Joy!!」を順に披露。
- ^ 大トリの後、審査結果を待つ間に嵐のメインボーカルの下、出演者(出場歌手、司会者、ゲスト審査員、合唱団)で「ふるさと」の大合唱が行われた。
- ^ 「感謝カンゲキ雨嵐」「GUTS !」を順に披露。
- ^ 「A・RA・SHI」「Happiness」「One Love」を順に披露。
- ^ 石川→嵐→サザンオールスターズの順番で歌唱。サザンは特別出演であり紅白の正規出場者とは別の扱いとなる。
- ^ 「君のうた」「Happiness」を順に披露。
- ^ 「アイノカタチ」「INTO THE LIGHT」「Everything」を順に披露。
- ^ 「A・RA・SHI」「Turning Up」を順に披露。
- ^ 「明日へ」「Higher Love」を順に披露。
- ^ 「愛をありがとう」「傷だらけの王者」「アイノカタチ」を順に披露。
- ^ 年間視聴率1位の座は第49回(1998年)がNHK総合の『1998 FIFAワールドカップ』の日本代表戦中継に抜かれるまで、全て紅白であった。
- ^ 1998年1月12日付オリコンシングルランキングで、12月25日発売のマキシシングル盤が1位、オリジナルの8cm盤が36位を記録した[105]。
- ^ 後に、NHKホール内の1階席の後ろの壁に電光掲示板を設置し、ここに台本を映し出す[106]。
- ^ 第71回(2020年)は新型コロナウイルス感染症の影響により、無観客での開催。第72回(2021年)はNHKホールの改修工事のため、東京国際フォーラムでの開催。
- ^ 1988年9月に昭和天皇の病状が悪化し、日本全国で華美な放送やCMを控える自粛ムードが高まっており、同年の紅白(第39回)は中止が懸念されていたが、遠藤利男(当時のNHK放送総局長)が11月17日の会見で「(今年の紅白を)実施したい」と発言[112]。発言通りに開催された。また、阪神・淡路大震災が発生した1995年(第46回)と東日本大震災が発生した2011年(第62回)についても当初は中止も検討されていたが、視聴者からの開催希望が殺到し、開催となった。新型コロナウイルス感染症が流行した2020年(第71回)は無観客で開催された。
- ^ 多くの出場者は本番組の後に『CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ』(TBS系列)や『ジャニーズカウントダウンライブ』(フジテレビ系列、ジャニーズ事務所所属タレントのみ)にも出演している。
- ^ 一方第32回(1981年)では、民放版『ゆく年くる年』のメインパーソナリティーに決まっていたさだまさしが、前後時間帯の民放生番組に出演することを理由に落選したという事例がある[114]。
- ^ 第66回(2015年)の三山ひろし、山内惠介、第67回(2016年)の市川由紀乃など。
- ^ 第46回(1995年)の岡本真夜。
- ^ 第54回(2003年)の倉木麻衣、第69回(2018年)の米津玄師、第71回(2020年)のYOASOBI。
- ^ 特別企画での出場を含む。
- ^ なお、嘉門タツオ(旧芸名:嘉門達夫)『ゴー!ゴー!スクールメイツ』(1993年3月24日)収録の「替え唄メドレー〜紅白バージョン」は紅白歌合戦で歌われた音源ではなく再録音版である。
- ^ μ's『ラブライブ!μ's Live Collection』(Blu-ray Disc、2016年8月26日)には、特典映像として紅白歌合戦用に制作されたアニメーション画像が収録されている[118][119]。
出典
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- ^ 2019年度 radiko経由のNHKラジオの配信について NHK広報局 2019年3月22日
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- ^ 絶対笑ってはいけない高瀬アナ、今年は紅白合間ニュースは担当せず,デイリースポーツ,2017年12月20日
- ^ NHK紅白歌合戦スペシャルアニメーションなど豪華映像特典付!「ラブライブ!μ's Live Collection」Blu-ray発売決定!、V-STORAGE(バンダイナムコアーツ)、2016年4月22日。
- ^ 「ラブライブ!μ's Live Collection」BD特典に紅白のスペシャルアニメ 8月26日発売、アニメ!アニメ!、2016年4月22日。
- ^ 「紅白 レコード大賞 それとも? 大みそかの夜 何を見ますか」『読売新聞』1987年12月26日付東京夕刊、6頁。
紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:57 UTC 版)
1983年 - 1985年に『NHK紅白歌合戦』で白組司会を務める。ただ鈴木はこれまで音楽番組と縁がなく、紅白も視聴したことがなかった(ただし、1980年に応援ゲストとして出演歴はあり)。さらに歌手も歌も知らず、カラオケで歌ったこともないという。1974年 - 1982年まで9年連続で白組司会を務めた後輩の山川静夫に代わっての抜擢であった。先輩である鈴木に白組司会を譲ることになった山川は大変ショックを受け、当時鈴木と山川が不仲になったとも伝えられている。1984年の紅白では「総合司会に山川を再登板させる方向でギリギリまで調整されたが、上記の件を理由に山川が固辞し、生方惠一(鈴木の後輩且つ山川の同期)が1982年以来2年ぶりに再登板する運びになった」とも報じられた。 予定を正確に把握し、ほとんどの台詞を台本なしで行い、歌手毎によって衣装を替えるという、それまでの歴代白組司会とは一線を画す司会ぶりは話題となった。しかしこのスタイルに対してはアナウンサーとしては行き過ぎであるとの批判も少なからずあった。1983年は紅組司会の黒柳徹子に対しては目の敵のような存在であった。オープニングでは「アラレちゃん」や番組中に変装を何回もすることから「怪人十二面相」などとそして、番組終了間近には「来年はあの紅組が勝たせて頂きますが、今年は白組が勝ったので本当に大きな気配りでした(『気くばりのすすめ』の著者の)。」などと皮肉を言い合う程の不仲の演出であった。 翌1984年には、紅組司会の森光子に対しては互いに衣装や司会ぶりをお世辞ととれる程に称賛し合った。ちなみに、この両軍司会は過去最高齢である。都はるみに対しアンコールを希望する際に、「私に1分間時間を下さい」と発言する(詳細は『第35回NHK紅白歌合戦』の項を参照)。その翌1985年は白組初出場のC-C-Bの笠浩二のヘアスタイルを真似ることで視聴者から顰蹙を買い、これを最後に白組司会を退くこととなった(この他にも、制作現場に対しても容赦ない介入を行い、スタッフからの反発を招いたことや、視聴率が大幅にダウンしたことも3年で交代となった理由とされている)。奇しくも1986年の大晦日は自身の母親の葬儀の日となった。 当時56歳だった1985年における最後の白組司会は白組司会の最年長記録となっている。ただし、男性司会者としての最年長記録は第56回(2005年)の当時61歳のみのもんたとなっている。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 21:12 UTC 版)
第58回NHK紅白歌合戦 (2007年12月31日、NHK) 坂本冬美の応援として演舞。 第59回NHK紅白歌合戦 (2008年12月31日、NHK) 藤あや子の応援として演舞。 第60回NHK紅白歌合戦 (2009年12月31日、NHK) 伍代夏子の応援として演舞。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:32 UTC 版)
1981年に「みちのくひとり旅」で紅白初出場の知らせを受けたのは、『新春オールスター大運動会』の収録現場で山本たちが騎馬戦をしている時だった。山本の紅白初出場を伝える新聞記事には、騎馬の上に乗ってガッツポースをする写真が使われたという。紅白当日の出番直前、同じく出場した北島三郎から舞台袖で「紅白初出場の喜びを噛みしめるよりも、去年まで出られなかった悔しい気持ちを忘れるな」と声をかけられたという。 1985年まで連続出場した後、1986年に初めて紅白落選がマネージャーから電話で告げられた時は、「紅白に戻れるよう来年頑張るから!」と返した。日本にいるとどうしても紅白を意識するため、その年は妻を連れて年末年始をハワイで過ごした。1987年に紅白に復帰したが翌年から再び落選が続き、「絶対に紅白に復帰するんだ」との思いで頑張り、1994年に復帰した。 1996年には、木梨憲武とのユニット「憲三郎&ジョージ山本」として紅白に出演。本番では、同じく出演した北島から「今年の紅白はお前たちの紅白だ!」と言われ、山本は後年「この年の紅白が一番楽しかった」と評している。後年これまでを振り返り、「紅白に6回落とされて、5回復帰できたのは山本譲二だけじゃないかと誇りに思っています」と述べている。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 05:23 UTC 版)
「小野満とスイングビーバーズ」の記事における「紅白歌合戦」の解説
1967年 第18回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1968年 第19回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏(前半のみ) 1969年 第20回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏(後半のみ) 1970年 第21回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏 1971年 第22回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1972年 第23回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1973年 第24回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1974年 第25回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1975年 第26回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1976年 第27回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1977年 第28回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1978年 第29回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1979年 第30回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1980年 第31回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1981年 第32回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1982年 第33回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1983年 第34回NHK紅白歌合戦 - ステージ演奏、これが最後の紅白歌合戦での演奏となった。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 02:16 UTC 版)
1985年屈指の注目曲であり、当然ながら「NHK紅白歌合戦」出場も有力視されていたが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}当時の女性誌の紅白出場歌手予想コーナーにて、歌詞の中に「レーザーディスク」という実在の商品名や、警察官を「おまわり」と表現している事が問題視され、「『レーザービデオ』などに歌詞を変えたらどうか?」と提案されたが、吉が、年末年始は家族サービスをしたい意向があったのと「歌詞を変えてまで出る気はない」と拒絶している事が「関係者」のコメントとして報じられ[要出典]、第36回NHK紅白歌合戦の出演はなかった。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 12:54 UTC 版)
2010年の第61回NHK紅白歌合戦に、「おかあさんといっしょ」出演者と共に主役3キャラクター(ライゴー、スイリン、プゥート)が出場し、「ドコノコキノコ」のダンスを担当した。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:11 UTC 版)
「にくまれそうなNEWフェイス」の記事における「紅白歌合戦」の解説
この楽曲でテレビ番組『第36回NHK紅白歌合戦』(1986年、NHK)に初出場したが、一説ではこの出演時にトラブルを起こしたために、十数年間NHKからは締め出されてしまったとされているが、これは都市伝説で誤りという話もある(詳細は「NHK紅白歌合戦でのハプニング」を参照のこと)。
※この「紅白歌合戦」の解説は、「にくまれそうなNEWフェイス」の解説の一部です。
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紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 05:08 UTC 版)
「桑港のチャイナ街」の記事における「紅白歌合戦」の解説
渡辺は1951年の『第1回NHK紅白歌合戦』の紅組トリで表題曲を歌唱。以後も『NHK紅白歌合戦』では、1956年の『第7回NHK紅白歌合戦』、1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』、1973年の『第24回NHK紅白歌合戦』(同回は特別出演)で歌唱された。 合田道人の著書では、1952年の『第2回NHK紅白歌合戦』でも紅組トリで歌唱されたと記されている(NHKの公式資料では「火の鳥」である)。
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「紅白歌合戦」の例文・使い方・用例・文例
- 毎年恒例の紅白歌合戦を見なければ年は越せない!
- 日本放送協会(NHK)が「紅白歌合戦」のための調査で上位15組を占めた歌手やグループを公表した。
- もうすぐ紅白歌合戦
- そろそろNHKの年末番組,紅白歌合戦の時期である。
- 今年の紅白歌合戦の初出場者
- NHKの紅白歌合戦には誰(だれ)が出場するのだろうか。
- NHKの年末番組「紅白歌合戦」で秋川さんがこの歌を歌った後,この歌は大ヒットし,CDの売り上げが急増した。
- 2007年をしめくくる紅白歌合戦
- 年末が近づき,NHKの毎年恒例の番組「紅白歌合戦」がまもなく放送される。
- 紅白歌合戦の出場者発表
- NHKは毎年恒例の年末の番組,紅白歌合戦に出場する53組の歌手やグループを発表した。
- ジェロはNHKの年末の音楽番組「紅白歌合戦」に初出場する。
- NHKは先日,第61回紅白歌合戦に出場する44組の歌手やグループを発表した。
- NHKが紅白歌合戦の出場歌手を発表
- 11月30日,NHKが毎年恒例の年末番組,紅白歌合戦の出場歌手を発表した。
- 愛菜ちゃんは「紅白歌合戦はおじいちゃん,おばあちゃんと見ていました。みんなに元気を与えられるようがんばります。」と話した。
- 紅白歌合戦の出場歌手が発表される
- 11月26日,NHKで毎年恒例の大みそかの歌番組「紅白歌合戦」に出場する歌手の顔ぶれが発表された。
- 紅白歌合戦の出場歌手発表
- 紅白歌合戦のページへのリンク