紀元前52年とは? わかりやすく解説

紀元前52年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/18 18:09 UTC 版)

紀元前52年は、ローマ暦の年である。






「紀元前52年」の続きの解説一覧

紀元前52年(ガリア戦争7年目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 11:35 UTC 版)

ガリア戦争」の記事における「紀元前52年(ガリア戦争7年目)」の解説

アッコ処刑によって大い自尊心を傷つけられたカルヌテス族は、全ガリア部族一丸となってローマに立ち上がるよう密談重ね、その密談が進む間もコトゥアトゥスやコンコンネトドゥムヌスらはケナブム(現:オルレアン)を攻撃して多数ローマ人殺害したまた、セノネス、パリシイ、ピクトネス、カドゥルキ、アウレルキ等ガリア各族はアルウェルニ族ウェルキンゲトリクスガリア軍の最高指揮権委ねることで合意した。早速、ウェルキンゲトリクスはビドゥリゲス族やルテニ族、ニティオブロゲス族らをガリア連合軍引入れるのに成功した。更に、かつてカエサルブリタンニア遠征参加していたアトレバテス族の族長コンミウス反乱加わった。 以上はカエサルローマ滞在中の出来事であり、カエサルクラッスス父子戦死プブリウス・クロディウス・プルケル暗殺等による事後対応ローマ本国内での政争に足を取られていたことから、これらガリア人動きに対して後手に回ることとなったカエサルガリア到着次第、軍を率いてビドゥリゲス族の主邑・ゴルゴビナ(en)へ進軍したその道中でセノネス族のウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum、現:ヴィヨン)、カルヌテス族のケナブム、ビドリゲス族のノウィオドゥヌム(現:ヌヴェール)等を攻略したウェルキンゲトリクスはここで「焦土作戦」を考案して、ローマ軍兵站寸断を図るべく多く城市焼き払うが、アウァリクム(現:ブールジュ)は住民嘆願もあって「焦土作戦」からは外された。カエサル軍はこのアウァリクムを攻略したが、この時脱出できたのは全市民40,000人の内1000名弱のみで、残り殺戮された(アウァリクム包囲戦)。 カエサルは6軍団をもってアルウェルニ族の主邑・ゲルゴウィア攻略乗り出した。しかし、これまでローマで兵站担っていたハエドゥイ族ウェルキンゲトリクス側へ軸足移しつつあり、ゲルゴウィア攻略長期化様相呈したことから、ローマ軍はゲルコウィア攻略断念したゲルゴウィアの戦い)。 山岳地とアルウェルニ族支配地域迂回するため、ローマ軍一度北上してから東方転じたウェルキンゲトリクスローマ軍追尾して攻撃仕掛けた。しかし、ゲルマン騎兵ローマ重装歩兵共同行動によってガリア軍は敗退したガリア軍は逆に追われる立場となり、マンドゥビイ族の都市アレシア逃げ込んだ一方で、アウレルキ族やセノネス族らを抑えるべくカエサルと別に4軍団率いていたラビエヌスは、アウレルキ族のカムロゲヌスらとルテティア(現:パリ)で衝突して、これに勝利を収めてカムロゲヌスを討ち取ったルテティア戦いフランス語版英語版))。 なお、これに先立って、親ローマレミ族及びリンゴネス族、ゲルマニア人攻撃により身動き取れないトレウェリ族以外のガリア部族の代表が集結し全会一致ウェルキンゲトリクス最高司令官にすることを決議したカエサルウェルキンゲトリクスガリア軍が立て篭もるアレシア包囲激戦の末、アレシア陥落させてガリア軍を破った詳細な経過アレシアの戦い参照

※この「紀元前52年(ガリア戦争7年目)」の解説は、「ガリア戦争」の解説の一部です。
「紀元前52年(ガリア戦争7年目)」を含む「ガリア戦争」の記事については、「ガリア戦争」の概要を参照ください。

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