管領就任と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:20 UTC 版)
観応元年(1350年)、斯波高経の4男として誕生する。父・高経の偏愛を受け、延文5年(1360年)には11歳で元服し、従五位下治部大輔に叙された。この頃の幕府では、2代将軍足利義詮を補佐する執事(管領)であった細川清氏が康安の政変で失脚し、南朝に属して京都に侵攻したため幕府は討伐を行い、執事職は空席となっていた。貞治元年(1362年)、13歳の義将は父・高経や斯波氏の縁戚であった有力守護の佐々木道誉の推薦で執事となり(但し道誉自身は婿にあたる義将の兄・氏頼を推した)、越前の他に越中の守護職を与えられた。 義将の年齢のこともあり、実際は父が後見人として幕政を指揮するが、高経の独裁的・強権的な政治は諸侯や寺社の強い反発を受けた。このため貞治5年(1366年)8月に起こった貞治の変において細川頼之と結んだ道誉などのため失脚して越前に逼塞する。この後、後任の管領には道誉らに推薦され頼之が就任し、細川氏との因縁は残された。
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