第4代総督アルグンの時期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第4代総督アルグンの時期の意味・解説 

第4代総督アルグンの時期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:28 UTC 版)

阿母河等処行尚書省」の記事における「第4代総督アルグンの時期」の解説

クルクズ裁判によって処刑されると、アルグンオゴデイ死後国政代行していたドレゲネによって新たなイラン総督任じられた。1243年/1244年、イラン到着したアルグン従来イラン総督府の直轄地域であったホラーサーン、マーザンダランには代理人残し、自らはアゼルバイジャン地方タブリーズ赴いてイラン方面タンマチ開拓した領土統治尽力したアルグン到着に対してルームシャームアレッポスルタンたちは庇護求めアルグン使者派遣してこれらの要請応えた1246年グユク即位式が行われると、アルグンイラン一帯有力者誘ってカラコルム向い最終的に多数西方出身有力者グユク即位式参列することとなったグユク西方親征のためにエルジギデイ派遣してルーム等の統治権委ねると、それと同時にアルグンイラクアゼルバイジャン方面委付された。この命令は、西方親征実施にあたってアルグン後方支援司ることを念頭においた措置であった考えられている。1247年ナイマン部出身のモンケ・ボラトなる者がグユク重臣で同じナイマン出身のカダク・ノヤンに取りいってアルグン告発させるという事件が起こった事態深刻さ知ったアルグン急ぎカラコルムに向ったが、道中タラスグユク急死知った。そこで会ったエルジギデイ要請アルグンは再びイランに戻ることにしたが、グユク急死によってイラン方面統治は再び揺らぎつつあった。 1年後1249年夏にアルグンは再びカラコルムに赴き、カラコルムでの裁判によって潔白証明されアルグン勝訴得た。しかし、帰路アルマリクにてアルグンチャガタイ・ウルス君主イェス・モンケ面会している時、今度モンケ新たなカーンとして選ばれ即位式が行われるとの情報もたらされた。そこでアルグンは再びカラコルム向かい1252年5月2日新皇モンケ面会したアルグン改めイラン総督地位承認された。また、イラン統治現況確認同時にヤラワチトランスオクシアナ実施したコプチュル税をイランでも導入することも決められた。 また、アルグンイラン総督任命について、『元史』は「阿児渾(アルグンを以て阿母河等処行尚書省事に充て、法合丁(ファフルッディーン)・匿只馬丁(ナジュムッディーン)に之を佐しむ」と表現しているが、これをモンケ即位年(1251年)のこととするのは誤りで、アルグンイラン総督就任1252年のことである。なお、「行尚書省」という名称はモンゴル行政機関漢人官僚一方的に名付けたものに過ぎず中華王朝伝統官僚機構とは全く関係が無い。 アルグン1年以上カラコルム滞在した後、1253年8月イランに向って出発したイラン到着したアルグンモンケより得た勅令をたてに官僚から誓紙提出させ、コプチュル税の導入準備始めたその後1255年にはフレグ率い西アジア遠征軍キシュ迎えて共にアム河を渡り、これ以後イラン総督府はフレグ統制下に入ることとなった。しかし、1260年モンケ急死しカーン地位巡ってクビライアリクブケの間で帝位継承戦争勃発すると、フレグイランの地で自立することを選んだフレグ・ウルス建国)。フレグ統制下に入った時点実質的に解散されたも同然イラン総督府は、東方燕京等処行尚書省大元ウルス吸収されたように、これ以後完全にフレグ・ウルス吸収併合されることとなった

※この「第4代総督アルグンの時期」の解説は、「阿母河等処行尚書省」の解説の一部です。
「第4代総督アルグンの時期」を含む「阿母河等処行尚書省」の記事については、「阿母河等処行尚書省」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第4代総督アルグンの時期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第4代総督アルグンの時期」の関連用語

第4代総督アルグンの時期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第4代総督アルグンの時期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの阿母河等処行尚書省 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS