第2回党大会と臨時党大会とは? わかりやすく解説

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第2回党大会と臨時党大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:15 UTC 版)

第一次共産党 (日本)」の記事における「第2回党大会と臨時党大会」の解説

創立されたばかり共産党は、1922年11月コミンテルン第4回大会に代表2名を派遣して党の結成報告、「コミンテルン日本支部」として承認された。翌1923年2月千葉県市川市料亭第2回党大会開きコミンテルン標準規約を基にした党規約決定した同年3月北豊島郡石神井村(現・練馬区石神井)で臨時党大会石神井会議)を開催しブハーリン起草した党綱領草案」(ブハーリン綱領草案)を検討したが、「君主制廃止日本における皇室天皇制廃止)」のスローガン含まれていたため一致至らず綱領決定されなかった。問題になった君主制廃止天皇制廃止論)」に対し、古い社会主義者たちは、強く反対したのであるその結果コミンテルンへはブハーリン綱領採択したように報告し内部的にはどこにも載せないことにした(「22年テーゼ」。この時点においては作成されていなかったとする見解もある)。 これ以降も、共産党戦前戦中非合法政党時代自己作成した綱領を持つことはなく、27年テーゼ32年テーゼなどのコミンテルン決議綱領として位置づけられた。 折りしも1922年政府は「過激社会運動取締法」「労働組合法」「小作争議調停法」の制定進めていた(3法案とも成立せず)ため、共産党1923年6月一斉検挙まで労働組合民主団体の3法案反対運動への組織化取り組んだとされるまた、党の大衆組織として青年組織である「日本共産青年同盟」(共青)と労働者組織の「レフト」もこの時期結成させた。

※この「第2回党大会と臨時党大会」の解説は、「第一次共産党 (日本)」の解説の一部です。
「第2回党大会と臨時党大会」を含む「第一次共産党 (日本)」の記事については、「第一次共産党 (日本)」の概要を参照ください。

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