第1服 - 第4服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)
織田信長に仕える古田左介は、武人としての栄達を夢見つつ文化・芸術を愛でる数寄者の顔を持ち、どちらの道を選ぶべきか葛藤していた。左介は信長に反逆し、武人として滅ぶ道を選んだ松永久秀、武人として得た全てを棄て数寄の道を選んだ荒木村重という対照的な二人の生き様を目の当たりにして、自分の選ぶべき道に想いを巡らせる。同じころ、左介の茶の湯の師・千利休は南蛮や唐・高麗の名物を「華の美」として愛でる信長に対し、一切の無駄を排した黒色による「わびの美」に至高の価値を見出し、その価値を広めるため羽柴秀吉と手を組み信長の排除を企む。 利休と秀吉は明智光秀を謀反に追い込み本能寺の変を引き起こすが、光秀の手抜かりを危惧した秀吉は自ら本能寺に忍び込み信長を殺害する。左介は信長の弟・長益と本能寺で遭遇して彼と共に逃げ延び、光秀討伐の兵を挙げた秀吉の軍勢に合流して山崎の戦いに加わる。戦いは秀吉の勝利に終わるが、その最中に信長の従者・弥助から、信長を殺したのは秀吉だと聞かされる。敗走した光秀は延暦寺の高僧の手助けで比叡山に向かうが、途中で高僧に異を唱える僧兵たちに襲われ重傷を負い、駆け付けた徳川家康に看取られて息を引き取り、家康は光秀の理想を受け継ぎ天下を目指すようになる。左介は秀吉に仕え、織部正の官位を授かり「古田織部」と名乗るようになり、自身の作品「織部十作」を作り始める。一方、秀吉の天下で「わびの美」を実現した利休だったが、秀吉は天下人という「箔」を求め、信長の「華の美」を再現し始め、次第に溝が生じるようになる。
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