祭礼次第と運営体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:24 UTC 版)
[全画面表示] 安久美神戸神明社の氏子14町1 安久美神戸神明社2 飽海町3 旭町4 旭本町5 西新町6 八町通三丁目7 札木町8 呉服町9 中世古町10 八町通四丁目11 八町通五丁目12 曲尺手町13 鍛冶町14 談合町15 前田町一丁目 氏子各町が専任で祭礼の各役を担うことで、代々、古式を崩さず継承されている。戦火により役が他町に移行した後には、新たに役を設けてそれを継承するなど、古式を尊重しつつ時代による変遷もみられる。氏子の区域は飽海、吉田、中世古、呉服町、曲尺牛町、札木町、鍛冶町、今新町、八町通りである。 1963年(昭和38年)に結成された「豊橋鬼祭奉賛会」や、1978年(昭和53年)に結成された「豊橋鬼祭保存会」を中心に豊橋市内の9町が役を担う。氏子各町にもそれぞれ神事の保存会があり、所作や装束の継承に努めている。 安久美神戸神明社で奉じられる神事のほとんどは、社殿の前に設けられた儀調場で行われる。儀調場は、八角形をした石造りの小上がりの場所でたんに「八角台」とも称するが、かつて左義長(さぎちょう)が行われたとも、毬打場(ぎっちょうば)であったともいわれ、名の由来は諸説ある。このような儀調場は全国的にみても珍しく、安久美神戸神明社の他数か所のみとされる。安久美神戸神明社の神職は、代々、伊勢神宮から下向した際の神宮祭主の裔である司家が世襲する。司家は、磯部、清水、川野の諸家に伴われて飽海に来て、司氏と共に祭に携わった。
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