神学生としての出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 02:35 UTC 版)
「カール・バルト」の記事における「神学生としての出発」の解説
1902年に堅信礼を受ける。将来は神学者になり、キリスト教会の信条をすみずみまで理解しようと志す。1904年に父ヨハンが教鞭をとるベルン大学に入学し、ユリウス・ヴェルハウゼンやフェルディナント・クリスティアン・バウアといった新旧約聖書学者のもとで歴史的、批評的に聖書を研究する方法を学んだ。 卒業後、父ヨハンは息子に自由主義神学から遠ざかって欲しいという願いから保守的なハレ大学を薦めたが、向学心に燃えるバルトは当時学問の中心であるドイツで神学界を席巻する自由主義神学を学びたいと思い、ベルリン大学に進み、アドルフ・フォン・ハルナックに師事して教会史を学んだ。同大学のユリウス・カフタンからは教義学を学んだ後、続いてテュービンゲン大学福音主義神学部にてシュラッターから新約聖書学を、最後にマールブルク大学ではヴィルヘルム・ヘルマンのもとで教義学を学んだ。同大学在学中にヴィルヘルム・ハイトミュラーの弟子のルドルフ・カール・ブルトマン、エドゥアルト・トゥルナイゼンと知り合った。 ベルリンでの滞在中にイマヌエル・カントの純粋理性批判と実践理性批判を熟読し、この形而上学批判から神の客観的な存在を擁護する正統神学の終焉を感じていた。そのため、フリードリヒ・シュライアマハーの唱える神と人間の直接的な関係に魅せられていた。1908年にベルンに戻り、ミュンスター大聖堂で父から按手を受けてマタイによる福音書10章26節以下の説教を受けた。卒業試験で『最初の三世紀における〈キリストの冥府への降下〉』という題で論文を書いて学生生活を終えた。
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