硯友社と新体詩・言文一致運動とは? わかりやすく解説

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硯友社と新体詩・言文一致運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:30 UTC 版)

山田美妙」の記事における「硯友社と新体詩・言文一致運動」の解説

予備在学中1885年明治18年)に友人尾崎紅葉石橋思案丸岡九華らと文学結社である硯友社結成し雑誌我楽多文庫』を編集刊行し、第1、2集に曲亭馬琴風の処女作竪琴草紙」を発表1886年から同誌に連載した「嘲戒小説天狗」は、言文一致体書かれ小説として先駆的なものであった。また1882年の『新体詩抄以来新体詩への意気込みで、縁山散史こと尾崎紅葉、延春亭主人こと丸岡九華とともに新体詞選』を刊行同年第一高等中学校大学予備門改称退学1887年明治20年)に読売新聞に「武蔵野」を連載し最初言文一致体新聞小説となる。同年婦人雑誌『以良都女』(成美社)創刊1888年には短篇集夏木立』を刊行小説雑誌都の花』(金港堂)を主宰1890年まで務め20歳にして坪内逍遥匹敵する名声得た硯友社とは疎遠になり自然脱退徳富蘇峰らが1888年組織した文学会」にも参加し1889年に『国民之友』誌で初め小説掲載した特別付録に、逍遥並んで蘇峰依頼受けて、「蝴蝶」を執筆した。「蝴蝶」は、挿絵初め裸体登場した作品で(渡辺省亭筆)、発売禁止となるなど物議かもした1889年日本俗語文法論」を『国民之友』に連載した1890年改進新聞社入社。1891-92年頃国民新聞紙上小説、詩などを発表その後は『文芸倶楽部』『世界日本』などに作品発表1894年頃に浅草茶店女に子を産ませていたが籍は入れないなどの性行があり、作品題材実体験で得るためと称したことなどが、『万朝報』、『毎日新聞』などで指弾され坪内逍遥も『早稲田文学誌上批判した1895年発表した阿千代」は久しぶり好評だったが、その後『以良都女』の投稿出身弟子女流作家田澤稲舟結婚1896年稲舟との合作峯の残月」を『文芸倶楽部』に発表稲舟美妙祖母不仲のため、3月結婚解消して鶴岡帰郷4月西戸カネ結婚稲舟自殺未遂の後9月病死したが、新聞自殺報じられ美妙非難を蒙り、文壇から遠ざけられようになった

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