こういけいしょう‐じゅんい〔クワウヰケイシヨウジユンヰ〕【皇位継承順位】
皇位継承順位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/15 22:10 UTC 版)
皇位継承順位(こういけいしょうじゅんい)とは、近現代の日本の皇室において皇室典範に定められた皇位継承順序に基づく、各皇族の皇位の継承順位である。
注釈
- ^ その他の差異については身位も参照。
- ^ 1926年(大正15年)12月25日の昭和天皇践祚時点で、20代であった天皇と香淳皇后には男子がいなかった。継承順位1位の皇長弟秩父宮雍仁親王は立太子されることはなく、1933年(昭和8年)12月23日に継宮明仁親王が誕生した。
- ^ a b c 嘉仁親王(大正天皇)は明治天皇の側室(柳原愛子)の子であるが、皇太子とされた(旧皇室典範の規定では、側室の子より、皇后の子の方が優先して継承するとされていたため、側室の子の場合、皇位継承順位第1位は確定しない。)。そのため、裕仁親王(昭和天皇)も父の嘉仁親王(大正天皇)が即位するまでは皇太子となる立場は確定していなかった。
- ^ 1920年代以降、精神疾患のため海軍も休職を経て予備役であり、皇族会議にも出席できる状態になかった(本人の項を参照)。
出典
- ^ 遠山 2010 p.57-58
- ^ a b c 皇室典範 第8条
皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。 - ^ a b c d e f g h 皇室典範 第2条 第1項各号
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫 - ^ “皇室会議議員名簿 - 宮内庁”. 宮内庁. 2019年5月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g 旧皇室典範の条項
- ^ p. 2-5, "Japanese Royalty" Japan Year Book 1939, Kenkyusha Press, Foreign Association of Japan, Tokyo
- ^ Genealogy of the House of Fushimi
- ^ Genealogy of the Fushimi-no-miya (jp)
- ^ Bix, Herbert P. (2001). Hirohito and the making of modern Japan (Book) (1st Perennial ed.). New York: Perennial. pp. 382–383. ISBN 978-0060931308
皇位継承順位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:05 UTC 版)
詳細は「皇位継承順位」を参照 皇位を継承する皇族の順位(順序)は皇室典範第2条に定められている。
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皇位継承順位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 21:57 UTC 版)
日本の皇位継承順位:令和元年(2019年)5月1日 -順位皇位継承資格者読み性別生年月日現年齢今の天皇から見た続柄摂政就任順位 第1位 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日(昭和40年) 56歳 親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子 第1位 第2位 悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日(平成18年) 15歳 親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子 第3位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日(昭和10年) 86歳 親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子 第2位 自身が誕生した1935年(昭和10年)11月28日から1960年(昭和35年)2月23日に浩宮徳仁親王(現・天皇)が誕生するまで皇位継承順位は第2位だった。現在は甥の秋篠宮文仁親王(56)、大甥で秋篠宮文仁親王の第一男子・悠仁親王(15)に次いで第3位。2016年(平成28年)10月27日の三笠宮崇仁親王薨去以降は皇位継承資格者最年長・最下位である。
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