甲越同盟
甲越和与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:06 UTC 版)
この間、織田信長は足利義昭を奉じて上洛していた。信玄は信長と室町幕府の第15代将軍に就いた足利義昭を通じて越後上杉氏との和睦(甲越和与)を試み、永禄12年8月(1569年)には上杉氏との和睦が成立した。 さらに信玄は越相同盟に対抗するため、常陸国佐竹氏や下総国簗田氏など北・東関東の反北条勢力との同盟を結んで後北条領国へ圧力を加え、永禄12年10月(1569年)には小田原城を一時包囲。撤退の際に、三増峠の戦いで北条勢を撃退した(これにより永禄12年(1569年)の第三次駿河侵攻にて、後北条氏は戦力を北条綱重の守る駿河の蒲原城に回せず、これを落とすことに成功した)。こうした対応策から後北条氏は上杉・武田との関係回復に方針を転じた。 永禄12年(1569年)末、信玄は再び駿河侵攻を行い、駿府を掌握した。また、永禄年間に下野宇都宮氏の家臣益子勝宗と親交を深めていた。勝宗が信玄による西上野侵攻に呼応して出兵し、軍功を上げると信玄は勝宗に感状を贈っている。
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