由緒と伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 07:30 UTC 版)
びん細工手まりの由緒は江戸時代の終わりに遡る。長野村(現・愛荘町長野)の藤居弥三郎のもとに嫁いだ市橋つね(1856-1930)の嫁入り道具のなかにびん細工手まりがあり、これがこの地に伝わる最古のものと考えられている。つねは、多賀を本拠とする近江商人・市橋喜平の妹であるが、現在多賀町にはびん細工手まりの技術は伝わっていない。 明治時代には、勝光寺(愛荘町沓掛)や信光寺(愛荘町東円堂)で行われていた裁縫教室でびん細工手まりの製法が教えられていた。裁縫塾を媒介に伝えられてきたびん細工手まりは、勝光寺の野田操(1889-1966)から青木ひろ(1887-1973)に伝えられたが、青木ひろはその技術を弟子に伝えることなく死去した。
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由緒と伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 08:35 UTC 版)
一説には藤原秀郷の末裔の伊予守頼綱の死後、その家族が京都から水口に移住し、山野に自生する葛藤(つづらふじ)を編んで細工物を作ったことが始まりという。江戸時代の水口は、加藤家の城下町であり、また東海道の宿場町(水口宿)であったため、藩の御用を受け、様々な献上品として、また旅人の土産として流通した。正保年間(1644年-1648年)成立の「毛吹草」巻第四に水口の名産として記載されている。 なお、1973年の伊勢神宮第60回式年遷宮まで奉納をしており、皇室にも幕末以降に度々献上していた。
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