現在の主要施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 06:04 UTC 版)
「加古町・住吉町 (広島市)」の記事における「現在の主要施設」の解説
広島市文化交流会館(加古町) - 1985年建設。かつての「広島厚生年金会館」を改称。 アステールプラザ(加古町) - 広島市文化創造センター、広島市中区民文化センター、国際青年会館、広島市立中区図書館の複合施設。 広島市立中島小学校(加古町) - 1897年「中島尋常小学校」として広島県庁敷地の南側に開校(1922年高等科を設置)。「中島国民学校」時代(1941年に改称)に原爆に被災し校舎が壊滅するなど大きな被害を受けるが、戦後焼け跡に復興(1947年現校名に改称)して現在に至る。 萬代橋(よろずよばし/加古町) - 元安川に架かる橋で、1916年ドイツ人技師によって当時の県庁の西詰に設計され、「県庁橋」とも呼ばれた。原爆被災時には爆心地から880mの距離に位置しており、その際の熱線でこの橋を渡っていた人と荷車、欄干の影がアスファルトに焼きついていた。欄干が吹き抜けになっていたことで倒壊せず、戦後も長く使用されていたが1980年になって現在の橋に架け替えられた。 中島神崎橋(加古町) - 1984年架橋。橋名の仮名は「中島橋」であったが西側住民が「神崎橋」と主張して譲らず、折衷的な命名になったと言われる。 住吉神社(住吉町) - 1733年の創建で広島藩の船の守護神として信仰された。旧暦6月14日・15日の夏祭(住吉祭)は広島3大祭として知られる。 新明治橋(住吉町) - 新国道2号の開通にともない1965年に架橋された。橋名は後出の明治橋にちなむ。 新住吉橋(住吉町) - 同上。1966年架橋。橋名は後出の住吉橋にちなむ。 明治橋(住吉町) - 1886年新たに架橋。被爆時の橋は1928年鉄筋の橋として架け替えられた。戦後も長く使用されていたが2006年に現在の橋に架け替え。 住吉橋(住吉町) - 1910年木造橋として新たに架橋。被爆時の橋は1926年に架け替えられたもので1945年10月の水害で流出、このため1954年に現在の橋に架け替えられた。1910年新築時の「記念灯」が橋の東詰北側に現存する。
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