片山内閣における裁判官任命諮問委員会
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1947年5月24日に首相に任命された片山哲は6月1日に内閣を本格的に発足させ、6月17日に裁判官任命諮問委員会規程(政令第83号)が制定された。委員として「衆議院議長(委員長)」「参議院議長」「全国の裁判官から互選された者4人」「全国の検察官並びに1947年5月2日において行政裁判所長官及び専任の行政裁判所評定官であった者の中から互選された者1人」「全国の弁護士の中から互選された者4人」「大学の法律学の教授で首相の指名する者2人」「学識経験のある者で首相が指名する者2人」と規定された。委員の互選は単記無記名投票で行うこととされ、事務を管理するために首相の所轄の下に、各種委員の互選ごとに全国選挙管理委員会(裁判官グループは6人の委員、検察官グループは4人の委員、弁護士グループは11人の委員)を置いた。 裁判官グループは1250人、検察官グループは668人、弁護士グループが6123人でそれぞれ委員選挙が実施され、9人の委員が決まった。裁判官グループの委員選挙は派閥争いも絡んで、対立相手を誹謗する怪文書が飛び交い、対立陣営の候補者の名前で自分は辞退すると打電したニセ電報事件まで発生した。 15人の委員は以下の通りになった。規程により衆議院議長が委員長となった。 衆議院議長 松岡駒吉 参議院議長 松平恒雄 互選裁判官 島保(最高裁判所判事代行) 互選裁判官 垂水克己(仙台高等裁判所長官代行) 互選裁判官 藤田八郎(大阪高等裁判所長官代行) 互選裁判官 岩松三郎(福岡高等裁判所長官代行) 互選検察官等 福井盛太(検事総長) 互選弁護士 塚崎直義(東京弁護士会長) 互選弁護士 小西喜雄(大阪弁護士会長) 互選弁護士 長谷川太一郎(第一東京弁護士会長) 互選弁護士 長野国助(東京弁護士会所属) 法律学教授 我妻栄(東京帝国大学法学部長) 法律学教授 瀧川幸辰(京都帝国大学法学部長) 学識経験者 今村力三郎(専修大学総長) 学識経験者 島田孝一(早稲田大学総長) 7月22日には各委員が、それぞれが適当と考える候補者名を記載した書面を提出し、最高裁判所裁判官候補者は139人となったが、7月27日までに48名が辞退の申し出がされた。 7月28日に残った91人について15人の諮問委員会委員全員が無記名30人完全連記で投票を行い、得票順に以下の30人を候補者が決定し、内閣に答申した(なお、各候補の得票数は明らかになっていない。以下はあいうえお順に記載している)。 安倍恕、有馬忠三郎、石田文次郎、井上登、岩松玄十、岩松三郎、小谷勝重、河村又介、草野豹一郎、栗山茂、近藤民雄、齋藤悠輔、佐々木良一、澤田竹治郎、島保、霜山精一、庄野理一、竹田省、垂水克己、塚崎直義、中川善之助、中島登喜治、長谷川太一郎、藤田八郎、細川潤一郎、松本静史、真野毅、三淵忠彦、宮本英雄、森田豊次郎 片山内閣は8月1日に30人の中から最高裁裁判官にする15人の人選を行い、8月4日に最高裁判所長官の指名及び最高裁判所判事の任命を行った。 最高裁判所長官:三渕忠彦 最高裁判所判事:塚崎直義、長谷川太一郎、澤田竹治郎、霜山精一、井上登、栗山茂、真野毅、庄野理一、小谷勝重、島保、齋藤悠輔、藤田八郎、岩松三郎、河村又介 30名の最高裁判官判事候補のうち、三淵忠彦、栗山茂、草野豹一郎、近藤民雄、細川潤一郎、石田文次郎、岩松玄十、また事務総長の本間喜一などは、昭和2年勅令第1号乃至第3号及び同年閣令内務省令第1号の規定による中央公職適否審査委員会の資格審査を受けていたが、いずれも8月1日以降、公職就職禁止に非該当という結果が公表された。
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