九十九王子 (田辺市中辺路町)
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本項目では、和歌山県田辺市市内・旧中辺路町域内に所在する九十九王子(くじゅうくおうじ)について述べる。
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- ^ 宇江[2004: 162]
- ^ 例えば潮見峠越えは、稲葉根王子付近からの富田川河谷を迂回するために開かれたルートである[小山 2000: 163]。
- ^ a b 宇江[2004: 216]
- ^ 服部 英雄・磯村 幸男編、2005、『近畿地方の歴史の道4 - 奈良1』、海路書院(歴史の道 調査報告書集成) ISBN 4902796368 所収(抄録)
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- ^ 神道大系編纂会、 1984、『参詣記』、神道大系編纂会(神道大系文学編5)所収
- ^ 藤井 寿一、2007、「資料紹介・林信章『熊野詣紀行』(抄)」、『熊野』No.132・133 所収
- ^ 宇江[2004: 213]
- ^ 地獄坂とは坂や坂の上の尾根から湯峯温泉を見下ろしたとき、谷間に湯煙が立ち込める様を地獄に見立てたものである[宇江 2004: 213]。
- 1 九十九王子 (田辺市中辺路町)とは
- 2 九十九王子 (田辺市中辺路町)の概要
- 3 三越峠と赤木越
- 4 参考文献
- 5 関連項目
湯川王子
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「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の記事における「湯川王子」の解説
湯川王子(ゆかわおうじ)は、岩神峠のふもと、湯川川の源流域の谷間にある。『為房参詣記』は、三階(みこし、現在の三越峠)の手前に内湯川(うちゆかわ)なる地名を記している。王子の名の初見は、『中右記』10月25日条の「内湯参王子」、『愚記』10月15日条にある「王子湯河」で、このころに湯川王子の名が定着したと見られる。参詣の途上、宿泊や休憩をすることが多く、皇族・貴紳の宿所が設けられた。 湯川一帯は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に威勢を誇った湯川氏の発祥の地とする伝承があり、応永34年(1427年)に足利義満の側室・北野殿が参詣した際には、奥湯川氏を名乗る豪族の一党が兵を従えて接遇を行っている。 江戸時代には、本宮の湯川(下湯川村)と区別するために道湯川村(どうゆかわむら)と呼ばれ、王子は若一王子社として祀られた。明治期には王子神社と呼ばれ、住人たちの氏神であったが、明治末年に社殿を残して金毘羅神社(近野神社)に合祀された。道湯川村はもともと山中の辺地の小集落で、明治に入っても和歌山県内唯一の義務教育免除地とされたほどであった 加えて、国道311号が三越峠の険路を避けて敷かれて交通路から取り残されたこともあって住人の退去が進み、1956年(昭和31年)には無住の地となって、社地も廃墟と化した。現社殿は、1983年(昭和58年)に再建されたものであり、以来、旧住人たちが祭祀を執り行っている。 湯川王子碑 現社殿 鳥居越しに社地を見る 所在地 田辺市中辺路町道湯川字王地谷20
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