岩神王子とは? わかりやすく解説

九十九王子 (田辺市中辺路町)

(岩神王子 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/10 05:00 UTC 版)

本項目では、和歌山県田辺市市内・旧中辺路町域内に所在する九十九王子(くじゅうくおうじ)について述べる。


  1. ^ 熊野路編さん委員会[1973: 91]
  2. ^ 熊野路編さん委員会[1973: 91、112、128]
  3. ^ 熊野路編さん委員会[1973: 79]
  4. ^ 田辺市の指定文化財 -記念物-”. 田辺市教育委員会. 2009年3月20日閲覧。
  5. ^ 熊野三山2000年〈平成12年〉11月2日指定、2016年〈平成28年〉03月01日追加指定)、国指定文化財等データベース文化庁) 2016年5月20日閲覧。
  6. ^ 熊野路編さん委員会[1973: 83]
  7. ^ 平凡社[1997: 520]
  8. ^ 長谷川[2007: 129]
  9. ^ 熊野路編さん委員会[1973: 139]
  10. ^ a b c d 平凡社[1997: 442]
  11. ^ 西[1987: 152]
  12. ^ 長谷川[2007: 130]
  13. ^ a b 平凡社[1997: 134]
  14. ^ a b 西[1987: 153]
  15. ^ 西[1987: 153]、熊野路編さん委員会[1973: 96]
  16. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 881]
  17. ^ 西[1987: 155]
  18. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 733]
  19. ^ a b 平凡社[1997: 617]
  20. ^ a b 平凡社[1997: 395]
  21. ^ a b 長谷川[2007: 138]
  22. ^ 西[1987: 158]
  23. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 383]
  24. ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 114]
  25. ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 118]
  26. ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 119]
  27. ^ 平凡社[1997: 101]
  28. ^ 西[1987: 39-44]
  29. ^ a b c 熊野路編さん委員会[1973: 121]
  30. ^ a b c 平凡社[1997: 794]
  31. ^ a b 宇江[2004: 159]
  32. ^ 宇江[2004: 160]
  33. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編[1985: 970]
  34. ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 127]
  35. ^ 宇江[2004: 162]
  36. ^ 例えば潮見峠越えは、稲葉根王子付近からの富田川河谷を迂回するために開かれたルートである[小山 2000: 163]。
  37. ^ a b 宇江[2004: 216]
  38. ^ 服部 英雄・磯村 幸男編、2005、『近畿地方の歴史の道4 - 奈良1』、海路書院(歴史の道 調査報告書集成) ISBN 4902796368 所収(抄録)
  39. ^ 宇江[2004: 215]
  40. ^ 神道大系編纂会、 1984、『参詣記』、神道大系編纂会(神道大系文学編5)所収
  41. ^ 藤井 寿一、2007、「資料紹介・林信章『熊野詣紀行』(抄)」、『熊野』No.132・133 所収
  42. ^ 宇江[2004: 213]
  43. ^ 地獄坂とは坂や坂の上の尾根から湯峯温泉を見下ろしたとき、谷間に湯煙が立ち込める様を地獄に見立てたものである[宇江 2004: 213]。


「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の続きの解説一覧

岩神王子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 18:46 UTC 版)

九十九王子 (田辺市中辺路町)」の記事における「岩神王子」の解説

岩神王子(いわがみおうじ)は、中辺路難所として知られ岩神にたたずんでいる。 熊瀬川わたって草鞋峠を越え、そこから坂道下ってノ河(とちのごう、または「の川」とも)の河原にたどりつく。このノ河は付近に栃の木多かったことから名づけられたといい、『中右記』にも「都千の谷(とちのたに)」なる記述がある。このあたりは険し道として知られ、しかも密生した樹木からヒル降ってくるとし降谷百八丁などと呼ばれた江戸時代頃から、この谷を挟んで両側の峠への坂をそれぞれ女坂草鞋峠側)、男坂岩神峠側)、両方合わせて女夫(めおと)坂と呼ぶようになり、これにちなん河原にあった茶屋仲人茶屋称されたという。江戸時代後期にここを旅した文人関心を惹いたようである。ノ河の河原から、ところどころ石畳残され男坂登ると、小さな切通し状の峠の北側王子址がある。 『中右記10月25日条には、「石上多介いしがみのたわ)」の王子参拝したとの記述がある。この時、近く地方から熊野詣に参る途中盲者うずくまっており、宗忠は食料与えた述べている。王子の名は『愚記』には「イハ神」、『建保御幸記』の参詣記には「石神」とあり、岩神表記定着するのは江戸時代以降のことである。江戸時代中期享保元文年間の頃までは茅葺小祠祀られていたが、寛政の頃には破損して扉も無く囲い板も失われていた。『続風土記』が編纂された江戸時代後期には、社も印も無い旧址化しているにもかかわらず毎年祭日になると神酒供えられていたと述べられている。 明治期になってからの合祀廃絶早く1877年明治10年)に湯川王子後述)に合祀されたことに加え峠道廃道になったことから長らく所在地不明になっていた。しかし、1965年昭和40年)に道湯川林道開かれ近辺山林へのアクセス容易になったことで、峠越え旧道がまず確認され次いで1960年代末頃から西律調査中辺路町関係者努力により、王子位置明らかにされた。 所在地 田辺市中辺路町湯川岩神222

※この「岩神王子」の解説は、「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の解説の一部です。
「岩神王子」を含む「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の記事については、「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「岩神王子」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岩神王子」の関連用語

岩神王子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岩神王子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの九十九王子 (田辺市中辺路町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの九十九王子 (田辺市中辺路町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS