洞爺丸難航とは? わかりやすく解説

洞爺丸難航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:44 UTC 版)

洞爺丸」の記事における「洞爺丸難航」の解説

1947年昭和22年12月12日津軽海峡西高東低の気圧配置で、前日より強い西風を伴う猛吹雪続き当日進駐軍専用のデッキハウス船石狩丸が、上り1202便として1119出航し難航していた以外は、全船運見合わせ中で、函館青森とも、多数旅客貨車滞留していた。 このため洞爺丸は、無線方位測定機音響測深儀機関に異常のないことを確認の上、遅れ8便として15時35函館第2岸壁離岸海峡出て磁方位14度西に針路をとった。しかし吹雪視界利かず、波が、開けた窓から操舵室内まで打ち込む状態で、函館からの航程17海里付近津軽海峡のほぼ中央)で平館海峡への針路決めるため、平館灯台のすぐ北にある石崎無線標識所からの電波方位測定したところで、無線方位測定機海水をかぶり使用不能となったこのため音響測深儀水深測定して船位割り出そうとしたが、これも故障して使用できず、さらに竜飛大間羅針局に無線方位測定依頼したが、この無線通じず、ここに明確な船位測定する手段失ってしまった。 このため1842分、航程35海里地点平館海峡北側推定)で、平館海峡への盲目状態での進入は危険と判断し北西やや西へ転針、1時間航走北東に転針し1952分、前方やや右に大間埼灯台短時間確認2050北西に転針し、2138葛登支岬灯台かすかに視認できたため、再び平館海峡へ向かうこととし南西に転針した。しかし天候悪化のため22時には再度断念し北東へ転針し2253分、函館湾口と推定される地点投錨した。しかし錨鎖繰り出し長から水深120m予想外に深く函館湾到達していないことが判明したため、吹雪晴れ間北北西進み、翌13日3時25分に函館湾内で錨泊し、天候がやや回復した朝8時に抜錨し青森向かった

※この「洞爺丸難航」の解説は、「洞爺丸」の解説の一部です。
「洞爺丸難航」を含む「洞爺丸」の記事については、「洞爺丸」の概要を参照ください。

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