江戸・京橋銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:05 UTC 版)
「銀座#歴史」も参照 慶長17年(1612年)に銀座が駿府から移転し、通町京橋より南へ四町までを拝領して設立した。既に江戸金座が両替町と呼ばれていたことから、この地を新両替町と称し金座は本両替町と称するようになった。江戸銀座へは京都の銀座より座人が一年毎に勤番交代を行った。常是屋敷および銀座役所は現在の東京都中央区銀座二丁目にあたり、「銀座」は繁華街の代名詞となった。常是屋敷は表間口15間、奥行35間2尺5寸(北側)〜37間2尺5寸(南側)、面積545坪7合6勺、銀座役所は当初表間口10間であったものが江戸時代中期に拡張され、表間口19間、奥行32間半(北側)〜35間2尺5寸(南側)、面積644坪余となった。正徳5年(1715年)には新両替町一丁目に後藤四郎兵衛の屋敷が移転してきた。 明和年間以前は銀座はもっぱら丁銀および小玉銀すなわち秤量銀貨を鋳造したが、明和2年9月(1765年)の五匁銀発行を皮切りに明和9年9月(1772年)の南鐐二朱銀発行以降は計数銀貨の鋳造が主流となった。加えて明和5年(1768年)から寛永通寳真鍮當四文銭の鋳造を請負い、これ以降、文久永寳に至るまで四文銭の鋳造は銀座の指導監督のもと行われることとなった。 寛政12年(1800年)銀座は蛎殻町に移転した。以降、京橋の銀座跡地は上ゲ地となり多数の家屋が建てられた。
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