水戸鉄道
水戸鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:51 UTC 版)
会社発足時の役員は専務取締役に伴野乙矢(十五銀行支配人)、取締役成瀬正恭(十五銀行副支配人兼預金課長)、中根虎四郎(安田銀行庶務部長)と十五銀行と安田銀行関係者であったが、まもなく安田銀行関係者はぬけてしまう。本社は東京の十五銀行内であり、株主はわずか9人であった。この時代は設備改善もされず「日々の僅かな運賃収入から徐々に回収していく」状況であったとみられる。 十五銀行は水戸鉄道(2代)の売り先を探していたが安田家から借金をしていた元太田鉄道社長の小山田の仲介により1907年(明治40年)8月15日水戸鉄道(2代)株2600株全部を285000円で安田家が取得した。本社を日本橋区小舟町3丁目に移転。役員も太田弥五郎(善次郎の妹婿)、杉田巻太郎、藤田善兵衛、安田善之助、安田善彦(善次郎の養子)ら安田家関係者に変わった。 1910年(明治43年)軽便鉄道法が交付され、水戸鉄道(2代)は1911年(明治44年)2月軽便鉄道に指定された。このころ鉄道院では勝田から大宮に至る軽便線の建設を計画していた。この路線が建設されれば死活問題となる水戸鉄道(2代)は1915年(大正4年)12月21日に上菅谷から大宮に至る路線を申請し、1916年(大正5年)3月鉄道免許状が下付された。1918年(大正7年)6月上菅谷 - 瓜連間、10月瓜連 - 常陸大宮間開業。この建設により福島(郡山)地方への重要な連絡路の役割をはたし貨客の輸送量は増大し経営は好転していった。 一方勝田-大宮間の軽便線の計画を潰された形となったが衆議院議員(茨城県選出、政友会)根本正の熱心な議会活動により1919年(大正8年)大宮-郡山間(大郡線)の予算計上に成功、さっそく工事着手、1922年(大正11年)12月10日大郡線常陸大宮 - 山方宿間の開業をみることになる。 1927年(昭和2年)水戸鉄道(2代)は「国有鉄道既設線との線路の系絡をはかり円滑な連絡をおこなう」との理由で買収されることになり法律第29号が公布され、12月1日水戸鉄道(2代)水戸-太田間、上菅谷-常陸大宮間延長20哩30鎖を買収、水郡線と名付けられた。買収価額は3,363,813円であった。
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