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やすだ-ぎんこう ―かう 【安田銀行】

1880年明治13)に安田善次郎開業した銀行で、安田財閥中心第一三井などと並ぶ大銀行発展した。


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富士銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/19 01:52 UTC 版)

(安田銀行 から転送)

株式会社富士銀行ふじぎんこう

  1. 1904年明治37年)に株式会社市川銀行(1936年解散)に改称した銀行のこと。現在の山梨中央銀行の前身の一つ。
  2. 1928年昭和3年)に株式会社駿河銀行(現・スルガ銀行株式会社)に合併した銀行のこと。
  3. 2002年平成14年)に株式会社みずほコーポレート銀行に改称した銀行のこと。

この項目では、3. について記述する。


株式会社富士銀行
The Fuji Bank, Limited
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8317 1949年5月[1]2000年9月
略称 富士銀、FBK
本社所在地 東京都千代田区大手町一丁目5番5号
設立 1923年大正12年)7月11日[2]
(保善銀行)
創業は1880年明治13年)1月[3]
(初代 安田銀行)
業種 銀行業
金融機関コード 0003
SWIFTコード FUJIJPJT
代表者 山本惠朗(頭取)
資本金 1兆395億円
売上高 9,343億円
総資産 62兆5,768億円
従業員数 12,940人
関係する人物 安田善次郎(創業者)
外部リンク www.fujibank.co.jp[4]
特記事項:すべて2001年平成13年)3月時点の情報、経営指標は2001年3月期連結決算[3]
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株式会社富士銀行(ふじぎんこう、英称The Fuji Bank, Limited)は、戦前から存続していた安田財閥系の安田銀行が、財閥解体等を経て1948年昭和23年)に商号変更した都市銀行である。英字略称は「FBK」。

本店は東京都千代田区大手町(二代目のみずほフィナンシャルグループ本部およびみずほ銀行東京中央支店・旧所在地)に置かれていた。芙蓉グループの中核。

この項目では同行の前身である安田銀行についても説明する。

目次

歴史

旧富士銀行本店(二代目のみずほフィナンシャルグループ本部)

戦前 - 安田銀行

安田財閥の創始者・安田善次郎1864年、江戸日本橋乗物町(現在の東京都中央区堀留)に露天の乾物商兼両替商・安田屋を開業した。2年後の1866年、日本橋小舟町に移り安田商店と改称。発足したばかりでまだ信用力のない明治新政府の不換紙幣や公債を率先して引き受け、その流通に積極的に協力。1870年に正金金札等価通用布告がなされると、これらを額面引き換えし更なる巨万の利益を得ることになる。

この強固な資本を基盤に1876年(明治9年)、川崎八右衛門と共に日本橋小舟町に第三国立銀行を開業。また1880年(明治13年)には、本体の安田商店を合本安田銀行に改組した。こうして資本金20万円、従業員31人、店鋪数3をもって銀行としての歴史が始まった。明治の日本にあって、安田銀行は鉄道・築港などの大規模公共事業に資金を提供し、政府や自治体からの信頼を厚くする。東京市大阪市もその中に含まれ、その後の富士銀行の本金庫業務(指定金融機関)としての地位、「公金の富士」の名声を築いていくこととなる。

時代が大正に移ると、第一次世界大戦関東大震災、それに続く不況によって社会情勢は不安定化。資金力・信用力が脆弱な中小の銀行は経営難に陥ったが、安田はこれを援助し、時には吸収・合併を行い預金者の救済にあたった。こうして親密となった11行が1923年(大正12年)に大合同、新・安田銀行となる。資本金1億5,000万円、預金5億4,200万円、貸出金5億2,100万円、店鋪数211、従業員数3,700人などいずれの分野でも国内首位となり、この座は1971年昭和46年)の第一勧業銀行誕生まで不動だった。

初代安田銀行末期の店舗網は栃木県から東北方向に伸びていた。

統合参加10行の概要

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  • 第三銀行
    詳しくは第三国立銀行参照。
    同行は、大阪で国立銀行免許を安田が譲り受けて設立。安田系の大合同に参加したなかで、2番目の規模ではあったが、初代安田銀行との店舗の重複は東京(小舟町本店)と横浜の2店舗であり、その他は大阪、山陰地方などに店舗を有していた。
  • 明治商業銀行
    同行はもともと安田と加賀前田家により設立。安田系銀行として安田、第三に次ぐ規模の銀行であった。本店は東京八重洲に置き東京府内を中心に群馬県数ヶ所と石川県金沢市、長野県松本市に計22店舗を有していた。
  • 根室銀行
    1898年に根室町に設立。翌年の増資に際し安田が引き受けることななった。北海道内各地に全19店舗を置いていた。柳田藤吉が設立した。営業店として現存するのは、みずほ銀行釧路支店、十勝信用組合本店である。
  • 神奈川銀行
    現在の横浜市神奈川区に本店を置き明治恐慌や大戦後不況などで不調となったのち全支店廃止し、本店内に第三銀行神奈川支店が設けられ有価証券も第三銀行に譲渡された。安田系となった銀行としては参加11行の中でもっとも遅い。営業店としては現在のみずほ銀行横浜駅前支店。
  • 信濃銀行
    小坂善之助ら8名により私立銀行として設立したが1905年末に生糸価格の暴落もあり苦境に陥り1908年に安田の手により救済された。店舗は長野県中心に18店舗有していた。営業店としては現在のみずほ銀行長野支店。
  • 京都銀行
    1894年に開業するも7年後の1901年の恐慌により経営は悪化し、安田の手により救済された。現存する同名の銀行とは無関係である。店舗は京都府福井県に6店舗を有していた。営業店としては現在のみずほ銀行京都支店。
  • 百三十銀行
    松本重太郎1878年(明治11年)、大阪市東区(現在の中央区)高麗橋に資本金25万円で第百三十国立銀行として設立した。旧徳島藩士の小室信夫と組んで、宮津福知山の旧藩士を説き、金禄公債を資本金として出資させるのに成功した。初代頭取には、小室の父佐喜蔵が、取締役には渋谷、稲田、松本誠直が就任し、重太郎は取締役兼支配人となった。1880年(明治13年)には重太郎が頭取に就任した。こうして1896年(明治29年)には、貸出額は住友銀行をしのぎ、在阪銀行のトップの座を占めた。1898年(明治31年)、国立銀行の満期解散にともない、同行は普通銀行に転換し、百三十銀行と改称。同行は百三十六銀行、大阪興業銀行、小西銀行、西陣銀行、福知山銀行、八十七銀行を合併し、1902年(明治35年)末には資本金325万円、大阪・京都・滋賀(末期には撤退)・福井・福岡に15店舗をもつ大銀行となったがその後の破綻により安田が救済しそれ以降安田系の銀行となる。安田銀行への大合同直前には前記の地域に加え朝鮮半島にも4店舗所を含む27店舗を有していた。営業店としては現在のみずほ銀行大阪支店ほか。
  • 日本商業銀行
    1895年に開業。翌年には門司町と小樽町に進出。さらには営業満期となった第百三国立銀行を吸収合併現在の神戸市兵庫区に本店を置き店舗は兵庫県内はもとより、山口県福岡県長崎県北海道に全13店舗を有していた。本店は営業店としては現在のみずほ銀行神戸支店。
  • 二十二銀行
    1876年の国立銀行条例改正と共の有志により第二十二国立銀行を設立。その後1897年に二十二銀行と改称。当時の地方銀行としては屈指の規模を誇るが1901年に苦境に陥り安田の手に委ねられた。岡山市に本店を置き、店舗網は岡山県を中心に香川、広島県内に全23店舗を有していた。営業店としては現在のみずほ銀行岡山支店ほか4店舗。
  • 肥後銀行
    前身は第六国立銀行。現在の同名の銀行とは異なる。1877年に現在の福島市で開業した後、1892年に本店を東京に移すものの最終的には熊本市に移転していた。そのなかで大阪支店の廃止や第九銀行の吸収合併などを行った。統合直前には熊本県を中心に全19店舗を有していた。営業店としては現在のみずほ銀行熊本支店。

戦後 - 富士銀行

安田銀行は安田家と決別する意味で終戦後の財閥解体とともにその名を変え、1948年(昭和23年)、富士銀行と改称。「富士」という新商号は、日本最高峰である富士山にちなんでおり、「国民[5]」「共立」「日本商業[6]」「富士[7]」などの中から京浜地区の行員によるアンケートの結果選ばれたものである。戦前からの強みであった公金分野に加えて、芙蓉グループの結成により一大企業系列の中核となった。

個人向け業務の分野でも「みなさまの富士銀行」を掲げ、創業80周年の1960年(昭和35年)には「カラコロ富士へ」(=下駄履きで気軽に入れる銀行)をキャッチコピーに採用。法人・個人の双方に強い名門都銀として、また東京都及び特別区との強いつながりから「東京の地銀」として長らく歩んだ。

1980年(昭和55年)に、従来の行章に代えて、正方形の中に富士を台形で表した宣伝用ロゴマークを制定。さらに1988年(昭和63年)にCIを導入。ランドーアソシエイツによる青・緑のグラデーションを地とした新ロゴ[8]が考案された。1993年平成5年)、イメージキャラクター俳優本木雅弘を採用。これが顧客から好評をうけ、みずほ銀行に再編される直前の2002年(平成14年)3月まで実に9年もの間、彼がイメージキャラクターを務め続けた。

こうして紛れもない上位行ではあったものの、1970年代以降は第一勧業銀行が発足して長年君臨していた預金量業界トップの座を奪われるなど、その地位は徐々に低下していた。このため、1970年代後半には同じく都銀上位行であった三和銀行との合併を画策し、業界トップの座の奪回を狙っていた。東京本店の富士と大阪本店の三和は店舗網のバランスでも補完性が非常に高く、経営状態、総資産も両行ほぼ同じで吸収されるリスクも皆無であったため、互いに合併のメリットが大きかった。このため、合併交渉も順調に進み三和とは合意寸前にまで達したが、金融業界全体が護送船団方式にどっぷりつかっていた当時では「メガバンクの誕生は預金の寡占につながり、銀行業界にとって好ましくない」という理由で大蔵省からの認可が下りなかったため、この合併はご破算となってしまった。

1980年代になると、住友銀行が積極的な営業を展開し、これがバブル期に突入するとさらに加速。焦る富士は対抗して営業部隊を投入、白兵戦を繰り広げ「FS戦争」(両社の頭文字から。「富士住友戦争」とも言う)と呼ばれる熾烈な貸出競争に走ったが、バブル崩壊後にはそれらの貸出が不良債権化していった。

バブル崩壊 - 統合

1990年代、不良債権問題・金融システム不安の拡大と並行して、富士銀行の経営は悪化の一途を辿る。金融ビッグバンの流れに乗って1994年(平成6年)に富士証券(現・みずほ証券)、1996年(平成8年)に富士信託銀行(現・みずほ信託銀行)を設立するなど業績改善を図ったが、いずれも収益の柱となるには至らなかった。また、1995年(平成7年)に日本興業銀行に合併の打診をしたが、破談になった。しかし、これが第一勧銀・興銀との統合へとつながったことは否めない。

1997年(平成9年)11月には山一證券が自主廃業、親密だった富士は「山一を支援するだけの余力がなかった」と市場からみなされ、株価が暴落する事態になった。1997年(平成9年)6月に1,860円だった富士銀行株は、翌1998年(平成10年)10月には252円まで値下がりしている。国内50拠点を統廃合、海外拠点をほぼ半減し、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて行員1,700名のリストラを余儀なくされた。金融早期健全化法に基づく公的資金注入は、都銀の中でも最大規模の1兆円に達した。

1999年(平成11年)には系列の安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)が経営危機に陥り、第三者割当増資を引き受け救済子会社化するが、もはや富士独力での再建は不可能だった。ここで浮上したのが第一勧業銀行との連携であった。2行の傘下にあった富士信託銀行と第一勧業信託銀行を合併し、第一勧業富士信託銀行とした上で、安田信託の中でも比較的高収益だった法人・年金部門を分割譲渡。こうした経緯から第一勧銀との関係が生まれ、みずほフィナンシャルグループ発足へとつながっていった。この連携の素地には1969年(昭和44年)にクレジットカード業務を行うために設立した合弁会社であるユニオンクレジットの成功による両行の信頼関係が存在していた。また、1960年代後半に地方店舗整理の際日本勧業銀行と一部店舗を交換(相手行店舗と統合)した。

ニューヨーク事業所の罹災

みずほフィナンシャルグループ本社前の慰霊碑

合併統合を目前にした2001年(平成13年)9月11日アメリカ同時多発テロ事件で、ハイジャックされたユナイテッド航空175便が世界貿易センタービル南棟78-84階に衝突。当行のニューヨーク支店および現地法人は南棟79-82階に入居していたため直撃を免れず、勤務中の行員12名が犠牲となった。
2002年(平成14年)12月に行方不明となった1行員の妻がこれについて綴ったエッセイ[9]を上梓し、2004年(平成16年)9月11日には2時間ドラマ「9・11 NYテロ真実の物語」としてフジテレビ系のプレミアムステージ枠にて実写化・放映された。
2005年(平成17年)9月11日には、みずほフィナンシャルグループ本部前(旧富士銀行本店)に追悼のモニュメントが設置された。ニューヨーク市消防局から寄贈されたもので、犠牲者の名が刻まれている。2008年(平成20年)に同地の再開発に伴い、みずほFG本部と共に「丸の内二丁目ビル」に仮移転している。

テロについての詳細はユナイテッド航空175便テロ事件を参照。

みずほ銀行発足へ

2002年(平成14年)4月1日に、株式会社第一勧業銀行(現・株式会社みずほ銀行)に「カスタマー・コンシューマー銀行業務に関する諸営業」を承継させ、また同行から「コーポレート銀行業務に関する諸営業」を承継し、並びに株式会社日本興業銀行を合併。株式会社みずほコーポレート銀行と改称した。富士銀行の法定手続上の承継会社はみずほコーポレート銀行である[10]

2013年(平成25年)みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を吸収合併し、行名をみずほ銀行とする。

沿革

  • 1864年元治元年)3月 - 安田善次郎、江戸日本橋乗物町(現在の中央区堀留)に露天の乾物商兼両替商・安田屋を開業。
  • 1866年慶応元年)4月 - 安田屋、店舗を持ち江戸日本橋小舟町に移転。両替商専業の安田商店と改称。
  • 1876年明治9年)12月 - 安田善次郎、川崎八右衛門と共に第三国立銀行(のちの初代第三銀行[11])を設立。
  • 1880年(明治13年)1月 - 安田商店を改組し、合本安田銀行創業。
  • 1893年(明治26年)7月 - 合資会社に改組。
  • 1900年(明治33年)10月 - 合名会社に改組。
  • 1912年(明治45年)1月 - 株式会社に改組[12]
  • 1923年大正12年)7月 - 株式会社保善銀行[13]設立。
  • 1923年(大正12年)11月 - 株式会社保善銀行を存続銀行として(旧)安田、第三[11]、明治商業(以上東京)、日本商業(兵庫)、京都[11]、百三十(大阪)、二十二(岡山)、根室(北海道)、肥後[11](熊本)、信濃(長野)、神奈川[11]の11行が合併し、株式会社安田銀行と商号変更。
  • 1924年(大正13年) - 株式会社浜松商業銀行を浜松委托(現:浜松委托倉庫)より買収
  • 1943年昭和18年)4月 - 株式会社安田銀行が株式会社日本昼夜銀行を合併。
  • 1943年(昭和18年)12月 - 株式会社日本信託銀行(現、大和証券グループ本社)から普通銀行業務を譲受。
  • 1944年(昭和19年)5月 - 埼玉県と多摩地方の大部分の店舗を埼玉銀行に営業譲渡。[14]
  • 1944年(昭和19年)8月 - 株式会社安田銀行が株式会社昭和銀行ならびに株式会社第三銀行[11][15](二代目、旧帝国商業銀行)を合併。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 株式会社安田銀行が株式会社富士銀行と商号変更[16]
  • 1991年平成3年)9月 - 富士銀行不正融資事件発覚。赤坂支店などの幹部行員が逮捕。
  • 2000年(平成12年)9月29日 - 株式会社富士銀行、株式会社第一勧業銀行及び株式会社日本興業銀行株式移転により株式会社みずほホールディングスを設立し、3行はその完全子会社となる。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 株式会社富士銀行を存続銀行として株式会社日本興業銀行と合併し、併せて株式会社第一勧業銀行よりコーポレートバンキング業務を分割承継して、株式会社みずほコーポレート銀行と商号変更[17]



  1. ^有価証券報告書』株式会社富士銀行、2001年
  2. ^2001年度版ディスクロージャー誌』株式会社みずほホールディングス、2001年7月
  3. ^ a b2001年度版ディスクロージャー誌』株式会社富士銀行、2001年7月
  4. ^ 2007年以降、個人サイトとなっている。
  5. ^ 国民相互銀行の後身行とは無関係であり英称が当時存在した庶民金庫と同じとなるため見送られた。
  6. ^ 1923年の(新)安田銀行発足に参加した銀行と名称が同じになるためこれも見送られた。
  7. ^ 住友銀行も新行名の候補としていたが同行は大阪銀行と改称した。
  8. ^ Fuji Bank logo | Best Brands Of The Worldを参照
  9. ^ 杉山晴美 著『天に昇った命、地に舞い降りた命』ISBN 978-4838714162
  10. ^ ただし、同行の業態は旧日本興業銀行に近く、一般には「富士銀行の後身は現在のみずほ銀行である」といった方が分かりやすい。
  11. ^ a b c d e f 現存する同名の銀行とは無関係。
  12. ^ 手続上、新会社設立とともに合名会社安田銀行を吸収した。
  13. ^ 合併の準備会社であるため現在の会社法では銀行を冠してはならない。
  14. ^ 同地内での2002年現在に存在した店舗(多摩地方の5店舗と埼玉県の4店舗を除く)は高度成長期以降に設置した店舗である。
  15. ^ 富士銀行80年史によると業務譲受と表記されていた。
  16. ^ 当初、行名変更は、同年4月の予定だった。
  17. ^ なお、コンシュマーバンキング業務は、第一勧業銀行に分割承継させ、第一勧銀は、みずほ銀行に行名変更した。
  18. ^ ちなみに、ディズニーキャラクターは三菱銀行が同時期にイメージキャラクターに採用し、三菱東京UFJ銀行となった現在も使用している。
  19. ^ Amazon.co.jp: Young Teamを参照のこと。
  20. ^ Amazon.co.jp: モグワイ・ヤング・ティームを参照のこと。


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