気球操縦士長とは? わかりやすく解説

気球操縦士長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 03:21 UTC 版)

タデウス・ロー」の記事における「気球操縦士長」の解説

1861年6月11日の夜、ローエイブラハム・リンカーン大統領会いホワイトハウスの上500フィート (152.4 m) ほどから電報を送るエンタープライズ号でのデモンストレーション提案した実際に送られ電文次の通りだった。 気球エンタープライズ ワシントンD.C.1861年6月16日 アメリカ合衆国大統領に: この観測地点からは直径50マイル (80 km) 近い範囲見渡せる。町を野営地取り囲んでいる様は素晴らし眺めである。この空中基地から初めての電報を貴方に送ることができるのは喜びであり、この国のために気球科学有用性を示す機会与えてくれた貴方に感謝するのであるタデウス・ロー ローは他に3組傑出した気球乗り、すなわちジョン・ワイズジョン・ラマウンテンおよびエズラジェイムズアレン兄弟とその地位争っていた。ワイズとラマウンテンは以前からロー批判する者だったが、そう簡単に任務を得ることができないでいた。 ロー最初出撃アービン・マクドウェル将軍北東バージニア軍とであり、第一次ブルランの戦いのときに行われたロー敵前線の背後不時着するという不運があったもののその功績印象残した。幸いローは敵に発見される前に31ニューヨーク志願連隊兵士発見された。しかし、着地時に踝を捻っており兵士達助け無くしては歩けなかった。彼等コーコラン砦に戻りロー身分報告した最終的に妻のレオンティンが老婆に身を窶し救出現れ持ってきた四輪荷馬車テント地のカバー使ってローとその装置安全に取り戻すことができた。 ロー気球司令部を創り、ローを気球操縦士長とする面倒を見るようウィンフィールド・スコット将軍命じたリンカーン大統領の所に、ロー功績の話が届いた。それはローが4基の気球を(最終的に7基)造り移動式水素ガス発生器を備えるほぼ4ヶ月前のことだった。同時にローは、軍用気球操作法指導することになる1隊の者を集めた新しく結成され北軍気球司令部民間契約組織のままであり、軍隊での任命を受けることが無かったが、これは部隊誰でもスパイとして捕まれば即刻処刑される危険を秘めたのだった

※この「気球操縦士長」の解説は、「タデウス・ロー」の解説の一部です。
「気球操縦士長」を含む「タデウス・ロー」の記事については、「タデウス・ロー」の概要を参照ください。

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