武専にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 11:58 UTC 版)
1934年、阿部は母と妹とともに京都に移り住み、武専で柔道と剣道を修行した。剣道は小川金之助十段に師事した。小川は当時75歳だったが、未だに弟子や若い指導者には手が出せないほどの腕前だったという。武専では毎週土曜日の午後、伝統に則って柔道の大会が開催されていた。阿部は5人の相手と5分間連続して戦い、全勝、あるいはほぼ全勝であった。武専在籍の初年には柔道4段に昇段した。2年目の秋に5段に昇段し、その頃には20人の相手と連続して戦っていたと言われている。 武専在籍中には、京都帝国大学の田邊元の哲学教室にも在籍した。妹の豊子は、この頃天道流薙刀の美田村千代に師事し、以降生涯に渡って薙刀術に関わった。 武専卒業後はその助教となり、大阪府警や京都の高等学校の教官も務めた。1936年11月には柔道教士号を拝受。1937年、武徳会より柔道6段に昇段した。 武専在籍中、阿部は合気道の創始者である植芝盛平と出会い、合気道を学んだ。植芝盛平はこのとき60歳であり、阿部の2倍の年齢であった。阿部が初めて植芝と出会ったのは、柔道の試合に向かうために夜汽車に乗っているときだった。阿部は向かいの席に座っている老人が自分のことを見ているのに気づき「何を見ているんだ」と話しかけると、相手は自分のことを知っているという。相手は植芝盛平であると名乗ったが、その名を知らず、特に興味もなかった阿部は寝ようとした。すると植芝は小指を突き出し、「この指を折ってみろ」と言った。阿部は思いっきり指を握ったが、その瞬間に阿部は床に組み伏せられていた。阿部はすぐさま弟子入りを志願したという。阿部は植芝のもとで10年間合気道を学び、最終的には6段となった。
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