歓喜力行団の車(KdF-Wagen)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:54 UTC 版)
「歓喜力行団」の記事における「歓喜力行団の車(KdF-Wagen)」の解説
歓喜力行団は、勤労大衆のための手頃な価格の自動車の購入に関与した。これはヒトラーが政権に就いた直後に発表した国民車構想に基づいて、フェルディナント・ポルシェによって設計、開発された、後に「フォルクスワーゲン・タイプ1」となる乗用車である。1938年に正式に「歓喜力行団の車」(KdF-Wagen,カーデーエフヴァーゲン)と名づけられた。 同年、ニーダーザクセン州に新都市「歓喜力行団の車を生産する街」(Stadt des KdF-Wagens、KdF-Stadt)が建設され、生産工場や労働者住宅が建てられた。戦後はヴォルフスブルクと改名され、フォルクスワーゲン・グループの本部が置かれている。 歓喜力行団は労働者向けに、「歓喜力行団の車」を購入するための特別貯蓄制度を設けた。これは一般大衆でも車を買えるようにした積立制度で、自家用車に乗りたいなら、毎週5マルク貯めよう(Fünf Mark die Woche musst Du sparen, willst Du im eigenen Wagen fahren)のスローガンの下に33万6,000人ほどが積立金の支払を行った。しかし、翌年の第二次世界大戦の開戦により実際に納車されることはほとんどなかった。自動車工場も戦争遂行のために軍用車生産へと回された。 第二次世界大戦の終結後、新たに創業したフォルクスワーゲン社は積立金を支払った人々に応えて、歓喜力行団が実行し得なかった納車(西ドイツのみが対象)を行っている。また同モデルは、1978年までモデルチェンジなしで生産され世界各国で販売された。
※この「歓喜力行団の車(KdF-Wagen)」の解説は、「歓喜力行団」の解説の一部です。
「歓喜力行団の車(KdF-Wagen)」を含む「歓喜力行団」の記事については、「歓喜力行団」の概要を参照ください。
- 歓喜力行団の車のページへのリンク