歌中山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 22:15 UTC 版)
清閑寺の山号にも使われている「歌中山(歌の中山)」は、現在は清水寺の音羽の滝から南へ向かい、清閑寺に至る山路を指している。地名は清閑寺の真燕僧都が門前で美女を見かけ、俗念を起こして清水までの道程を尋ねたところ、美女が「見るにだにまよふ心のはかなくてまことの道をいかでしるべき」と歌を返して姿を消し、詠まれた場所が当地であったという寺伝による。なお、『源平盛衰記』巻二「額打論附山僧焼清水寺並会稽山事」に「清閑寺、歌中山まで責寄たり」とあり、古くから使われている地名だが、『山州名跡志』では不詳と記し、清閑寺山(清水山南稜)或いはその西側の妙龍寺(法華寺)の地とする。また、平安時代から応仁の乱頃までの京都を描いた『中古京師内外地圖』(森幸安作図)では、清水山と山路を挟んだ西側の山を「歌中山」と記している。 清閑寺山を含む周囲一帯は「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(古都保存法:昭和41年法律第1号)による「東山歴史的風土保存区域」及び「清水歴史的風土特別保存地区」に指定され、山林は高台寺山国有林として林野庁近畿中国森林管理局京都大阪森林管理事務所が管理している。なお、六條天皇陵・高倉天皇陵の兆域は、国有財産たる皇室用財産(陵墓)として宮内庁書陵部月輪陵墓監区事務所が管理している。
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