機甲師団の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 20:53 UTC 版)
戦車の登場は第一次世界大戦中のことであり、塹壕線突破などが主目的であった。始めは歩兵部隊の支援として、歩兵に従属する形で各車が分散される形で用いられた。 大戦終了後、各国の軍人(イギリスのジョン・フレデリック・チャールズ・フラー、フランスのシャルル・ド・ゴール、ドイツのハインツ・グデーリアン、ソ連のミハイル・トゥハチェフスキー、アメリカのアドナ・R・チャーフィー・ジュニア、日本の井上芳佐など)や軍事研究家(イギリスのベイジル・リデル=ハートなど)が歩兵ではなく、戦車を主戦力とした部隊の構想を着想した。戦車を主力とし、歩兵をその支援にまわすことで、機動力と打撃力がある部隊が構成でき、それが軍としての理想形だと考えた。 だが、フランスでは要塞マジノ線の建設に軍事費の多くを費やし、軍幹部は歩兵が軍の主力と考えたため、ド・ゴールの意見は採用されなかった。イギリス・ソ連での実際に行われた機甲師団の実験も、イギリスでは軍縮政策で、ソ連ではスターリンによる赤軍粛清の際、トゥハチェフスキーら機械化を進めた将校を処刑・追放したことで、頓挫してしまう。 ドイツはヴェルサイユ条約の厳しい軍備制限(陸軍兵力10万人、海軍1.5万人。参謀本部、潜水艦、空軍、戦車は保持出来ない)によって戦車戦術を研究出来なかったが、張りぼての戦車や「農業用トラクター」と詐称して製造して、ソ連国内の秘密の戦車学校にて戦車戦術を研究した(I号戦車)。アドルフ・ヒトラーの後援もあり、世界で機甲師団を最初に編成したのは、ドイツ再軍備宣言後のドイツ国防軍であった。1935年10月15日に第1から第3の三個装甲師団が編成されたのが最初である。
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