松平直基
松平直基(越前松平家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 10:06 UTC 版)
正保元年(1644年)に越前松平家の松平直基が越前大野藩5万石より10万石加増の15万石で山形に入部した。直基は徳川家康の次男結城秀康の五男である。郷村支配のために大庄屋制を定めた。これは移封が極端に多かった山形藩では地元の土豪など有力者を登用することで藩政に妥協的体制を図り、なおかつ地元に精通する役人が少ない譜代大名にとっては特に有効となった。ただ、保科家の時代より山形藩領が5万石少なくなって村山郡の幕府領は山形より大きくなり、また諸藩の領地にも分割されることになった。 直基は慶安元年(1648年)6月、播磨姫路藩に転封となった。
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